眠りと覚醒の狭間で…

朝、私の方が先に起きたとき、嫁の様子を眺めたりすることがある。

「寝とるなぁ…」

と。

あるいは、先に寝室を出て、コーヒーでも飲みつつ、パソコン開いてメール見たりして、ひと段落して、ぼつぼつ起こそうかと寝室に戻り、足の指をつまんでみたり、頬ずりしてみたり、起きかけたら「起きるぞー」と、足を引っ張って布団から引っ張り出したりする。

また、梨やら林檎などがあるときは、それをひと口大に切って寝室に持っていき、口元にくっつける。

初めはびっくりするが、食べ物だとわかると口を開け、口の中で数秒ふくんだ後「しょり…しょり…しょり…」と食べる。

これを2、3回繰り返すと、眠りの世界から、徐々にこちらの世界、言葉のある世界へ戻ってきて「おいしい…」と言う。

また、寝言ではなく、夢で見たことをつぶやくときもある。

このときは、結構起きている状態だと言えるだろうが、いわゆる寝ぼけている感じ。

先日はどうも、人魚になってる夢を見ていたようだ。

私が例のごとくくっついていくと、例のごとく寝ぼけた様子で会話が始まった、

嫁 「人魚になってて売られた・・・」

私 「クロールでもして泳いでたんか?」

嫁 「・・・魚やのに?」

私 「(笑)人魚って魚なん?」

嫁 「・・・足 魚やん・・・」

私 「(笑)人魚のあれって足なん?」

嫁 「・・・・・」

ここで会話は途切れた。

あまりにしょうもない?身のない議論だったためか、また、眠りの世界へ戻っていってしまったようだった。

私はあまり、寝ぼけた状態というのがおそらく少なく、寝ているか起きているか、の区別がつきやすいタイプだと思う。

嫁は、眠りと覚醒の狭間に滞在することができる、という特技を持っているのだろうと思う。

考え方、見方で良くも悪くも

私は懸賞にちょくちょく応募する。

と言っても、先に調べて、この日からキャンペーンが始まる!と準備するようなことはなく、「ん?なんか応募券がついてるぞ?」と気づいて、欲しいものだったりすると、応募券の収集を始める。

先日は、親戚の集まりで、その日中に帰る予定だったので、アサヒ スーパードライのノンアルコールを飲んで、寿司を食べていたんだが、カンカンに何やらシールが貼ってある。

どうも、キャンペーンをやっているようだ。

ビール系のキャンペーンは、ビールそのものだったり、アテになりそうなものだったりすることが多いので、私好みなので調べてみると、アサヒ商品のギフト券、とのこと、それでは、発動。

たぶん、私は、薄ら笑いを浮かべながら、プリントアウトした応募ハガキに、応募シールを貼ったのだろう。

よし。

ほぉ、今回は結構ようけ応募シールが必要なんだな、6巻パックを2つ買えばいいんだな、と予定を立てる。

ふと、全体を見渡したときに、右上の黒字に白抜きの文字が目に入る。

キャンペーン、終わってるやん…

このハガキを見せつつ、嫁にその話をすると、

嫁 「えー!かわいそー!」

と、眉間にしわを寄せながら、同情してくれた。

キャンペーンは終わっており、応募は出来なかったが、嫁のお陰で、この応募も、当選したようなものだ、と思うのだ。

その話をすると、

嫁 「素晴らしい!」

とのことだ。

そうなのかなぁ。

ノロケ

シラフででも、ノロケ?を書いてみようと思う。

私は嫁のことが好きだ。

さすがに、出会った頃の、高校時代の恋愛感情とはそりゃ違うと思うが、いまだに可愛いと思う。

結婚前の付き合い9年ほどを含めると、かれこれ30年くらいの時間を経ているし、それなりの歴史があるから、出会った頃の感情がそのままかと言われると、そういうわけではない、というのは当然だろうね。

ラブラブ、というのはまだ使える台詞なのか分からんが、さすがに、我々、ラブラブというにはちょっと恥ずかしいが、そういう感覚を、少なからず残しているところがあるかもしれない。

ほぼ毎日会っているし、ほぼ毎日晩酌もしているのだから、いろんな意味で、お互いに慣れはあるはずだ。

それでも「好き」というのはどういうことか。

美人は3日で飽きる、ブス(禁句?)は3日で慣れる、というフレーズもあるが、美人とブスの違いも曖昧なものだ。

我が嫁はどっちか。

その話をしたときに嫁は、

「あなたは私のこと飽きて飽きて可愛そうね」

と言っていた。

私からすると、そういうカテゴライズをしたことがないので分からない、というのが正直な答えかと。

好き、という気持ちは、いったいどこからやってくるのか。

仕事のプレゼンでもあるまいし、対外的に嫁のことを説明する必要がないわけで、どういうところが好きか、どこがいいのか、というのも「ここ!」というのが、パッと出てこない感じだ。

好き、と言いつつ、どこが好きなのかを説明できない、というのもへんな話だなぁとは思うけど…。

先ほど、

私 「前にあんた、美人は3日で飽きる、ブスは3日で慣れる、って話のとき、『私のこと飽きて可愛そう』言うてなぁ」

嫁 「そのと〜り!」

と言っていた。

なんやろなぁ・・・

嫁の「そのと~り」の引用もと

ほろ酔いで

自分以外の人間と居ること、夫婦で居ることのメリットは、自分だけでは気づかないことに気づける、ということだと思う。

私らは、友達の間では、仲のいい夫婦だと思われているかもしれないが、そうかもしれないし、そうでないかもしれないし、そんなことは、人が言うことであって、自分たちはあんまり気にしていない。

というよりは、そもそも暮らしているだけだ。

何とかせないかんときは、
何とかせないかんし、
どないでもなるときは、
どないかなるしかない、
ので、どないしようもない。

そういう発想はある。

でも、時には、どないかせにゃいかん!と力が入ることもある。

そういう時に、緩めてくれたり、反対意見を言われたり(言うてくれたり)、結論が出ないこともあってケンケンしたり、それが一緒にいることの本質であるようにも思う。

酔っ払って書くことは、たいがい、公にすると後で、あー消したい!と思うのだが、まぁ、この嫁ブログに関してはええだろ。

ここには結論はないのやが、

ただ、嫁には、今でも一緒に居てくれていることを感謝しますわ。

もし、これからもまだ一緒にいる時間があるのなら、また旅行へ行こう。

そして、ビュッフェでご飯を食べよう。

コースでもいいけど、ブュッフェはなんか楽しいじゃろ?

なんの話や・・・やっぱ酔うてるようやなぁ。

52

お互いの体重の話をした数日後。

(過去の記事「体重」)

私 「『52』って数字を聞いて思い当たることある?」

嫁 「?」

私 「スポーツ選手の背番号やないで」

嫁 「トランプのカードの枚数?」

私 「え?そうなん?」

嫁 「13×4種類やん」

私 「うわ、ホンマや…!いや、けど違う」

嫁 「なに?分からん」

私 「あんたの体重やがな」

嫁 「あ、そっか!すっかり忘れてた!」

私 「ほんまにダイエットする気ある?」

嫁 「うふふふ」

あんまり気にしていないようだが、私より重くなくて良かったんじゃないかと聞いてみた。

私 「俺いま54くらいやったから、俺より軽いってことやし良かったやん」

嫁 「僅差やん…」

と、やや声のトーンが落ちた。

僅差。

タイムを競い合っているスポーツ選手、あるいは、競馬の鼻先、みたいな言い方である。

夫婦で体重2キロ差で嫁が軽い、という事実は一般的にはどうなんだろうか。

結構、嫁さんの方が重いということも少なくないのではないかと思ったりもするのだが。

やっぱり少しは気にしているのだろうか。

痩せてるのと太ってるの、女性は痩せるのを求めるかもしれないが、それは一緒にいる男性の好みによるだろうし、私は嫁に、痩せるように促す気もない。

そんな話をしていると、

嫁 「でも、これはあかんやろ…ってなってたら教えてや」

と。

そう言えば、嫁の体重がピークに近い頃の写真を見ると、確かに今より「ぱんぱん」「ハチきっている」という感じがした。

でもその時も、太ってるというふうには私は見ていなかった。

写真を見ながら、

私 「あははは、確かに今よりパンパンやな!」

嫁 「もう!だから言ってなって言うてるねん」

私 「でも、この写真の時期でも気づいてへんのやから、このくらいは何てことないんやろう」

嫁 「うーん…」

私 「それこそアニメかなんかのキャラクターくらいのインパクトにならんと、俺は気づかんのちゃうか」

嫁 「そんなん遅いやん…」

というか、ちょっとでも気にする感じがあるうちは、そんな事態にはならんだろうと思って聞き流している。