誓いの言葉

結婚式のとき、いわゆる「誓いの言葉」みたいなものを言った人、少なくないと思う。

和式、洋式、仏前式、神前式、人前式・・・などなど、今後もっといろんな種類が出てくるように思うけど、要するに、何か?誰か?に対して「私たち結婚しますよ」と宣言するわけだ。

ぶっちゃけ、そんな式なんかせんでも一緒に暮らし始めればええがな、というふうにも思うものの、1つのケジメというようなものでもあるだろうし、たくさんの人がいる社会で暮らすのには、結婚という儀式?契約?をやっておかないと、何かと面倒なことも多いんだろうと思う。

とにかく、だいたいはお互いが望んで結婚することがほとんどなんじゃないか。

結婚、して良かったと思う人も、しなかったら良かったと思う人も、そして、取りやめる人もいるわけで、とりあえず始めは好き合って一緒になる場合が多いとしても、結果がいろいろあるのは、何だか興味深いことだ。

そうそう、誓いの言葉。

そんなもの、時間が経ったら気持ちかわりますから!というのも一理ある。

だったら、はじめから言わなかったらいいのに…とも言えるし、その時はそう思ってたんだもん!でも今は違う!というのも現実的にあるんだろう。

そんなことはそれぞれに任せておくしかない、って感じがする。

ところで、私らの場合は、確か人前式(だったはず?)の形で、親兄弟と近くに住んでいた親戚で式を挙げ、2次会は友達を招待して店を借り切ってやり、3次会は普通の居酒屋、白木屋だったか…でダラダラ飲んだ記憶がある。

いやいやそれで、誓いの言葉の話で、私らのそれの中に「感謝の気持ちを忘れず」というのがあったはず。

いちおう嫁に聞いたら、やっぱりそうだったようだ。

ふーむ、と考えて、そうだよな、それがちょっとでもあったら、どうあれ最悪にはならん気がするんだよな。

どんな些細なことでも、なにか感謝できることを見つけることができると、それを考えなかったときより、ちょっとだけ寄り添えるんではないか。

結婚式のときにどういう「誓いの言葉」を言っていたか、思い出してみる、夫婦で話してみるっていうのも、少々こそばゆいかもしれないけれど、たまにはいいことかもしれないな、と思います。

帰宅電車にて 191129

前にも書いたかもしれないが、以前に読んだ自己啓発本だったか、その中で、離婚に関する専門家という、確かアメリカ人の人の話が出てきた。

その人曰く「夫婦は向き合うべき、と言うのは間違っていて、向き合うと必ず言い合いになる」と。

じゃあどうすればいいのかというと「夫婦は同じ方向を向いて歩んでいく」ことが大事なのだと。

改めて、なるほどなぁと思う。

夫婦と言えども、親子と言えども、それぞれ違う人格を持った1人の人であって、仲良くやれるときも、衝突することもあって当然だと思う。

そういうときは、自分たちの人生の目標?目的?を、改めて考えてみる、ということは、有益なことのように思う。

同じ趣味を持つといい、とかも言われるが、それも、良い場合と良くない場合があるかもしれない。

確か、知り合いの夫婦は、バイク好きの集まりで知り合って結婚、結婚後もちょくちょく2人でツーリングに出かけるとか言っていた。

それなんかはいいケースなんだろうな。

良くないケースといえば、なんやろ…

例えば、お互い絵を描くのが好きだったとして、それぞれ描いた絵を見せ合い、建設的な意見、感想を言い合えれば良いのだが、ネガティヴな批評をしだすと、良いはずの共通の趣味が、喧嘩のもとになったりということも考えられるし。

お互いの接し方次第なんだろうと思う。

でも、同じ方向を向いて歩んでいく、というのは、確かうまい表現な気がするのだ。

趣味のようなものも良いけれど、人生どうありたい?みたいなことは、一度は話し合っても良いように思う。

嫁ならたぶん「いつも楽しく過ごしたい」という感じのことを言いそうだ。

私も同感。

さてそのためには…ということをお互い率直に話し合えればいいよねぇ。

私ら夫婦で毎月の月初にやっているミーティングは、そういうものであるのだけど。

何を書こうと思っていたのか忘れてしまったが、ふとそんなことを考えていた、帰宅電車の中だったのです。

お酒との付き合い方?

ほぼ毎日の晩酌で、調子よく飲んだとき、言い換えると、少々飲みすぎになったときなどは、先にダウンしそうな方が先に寝室へ向かう。

ダウン!と言っても、飲み過ぎて気持ち悪くなるような、大勢で飲むときのような飲み方は、晩酌ではしないので、ここで言うダウンは、眠さがピークに来る状態のことだ。

そうそう、我々夫婦はお互い、大勢の飲み会なんかでは、楽しいノリになったときなど、自身はそれほど酒に強い方でもないのに、猛者たちのペースで飲んだりなんかして、帰りに厳しくなることも少なくなかった。

もちろんそれは、気の許せる友達だからなのだが、私だと、終電前のホームから顔を出して「そそう」をしたこともあったし、嫁は、終電の中で同様のことが起こりそうになり、次の駅で仕方なく下車、広場で休憩、タクシーよりもラブホに泊まった方が安い、ということで30分くらいは歩いてなんとか見つけ、セーフ!ということもあった。

ああいうのは、酒の光と陰やなぁ…

アラフィフの我々に話を戻して、晩酌でちょっと飲み過ぎたか、睡眠欲が勝ってきたときには「あかん…お先…」ということで、どちらかが先に寝室へ行く。

調子のいい方、まだいろいろ考えたい方、しっとりしていたい方は、引き続き、居間で。

そうなると、落ちた方はもう分からない。

先日は、私が先に寝た。

そして、朝、目覚ましで起きて横を見ると誰もいない。

「あらま、コタツで落ちたな…」

と、居間に行ってみると、電気もつけたまま、酒のコップも置いたままコタツに潜っている嫁を確認。

顔を触ると、

「ん…」

と言うので無事を確認、ということがあった。

その何日後か何週間後か、また私が先に寝たときは、朝起きて横を見ると、そこにはスヤスヤ眠る嫁。

目覚ましを消してしばらく「嫁やなぁ」と眺めていたが、私も2度寝してしまい、気づいたら出かける時間ギリギリ。

急いで着替えて準備して、もう一度…と嫁を触りに行くと、浅く起きて握手を求められ、しばらく握手。

マジで間に合わん!と後ろ髪(無いけど)引かれる思いで私は走る…

酒のせいでバタバタして良くないのか、酒のお陰で嫁をまじまじと眺めることができるのか。

酒、晩酌とは良薬口に苦し、といったところか。