出会い 2023.06

よく、出会いは奇跡!みたいなことが言われるけれど、考えてみれば、確かにそう言える部分はあると思う。

文脈によって、こと恋愛話などにおいては、「奇跡」と言った方が盛り上がる感じはあるやろね。

とはいえ、実質的な内容としては「偶然」というのと、同じようなことなんじゃないかなぁ。

「偶然」を「運命」と言い換えたら、もっとゴージャス?な感じにもなりますわな。

問1.「奇跡」「偶然」「運命」の違いをそれぞれ説明しなさい。

とかいう問題があっても面白い。

すぐ散漫になるんで、元に戻して…

奇跡であろうと、偶然であろうと、運命であろうと、いま現在こうであるという、身も蓋もない感覚はあるんやが。

嫁と結婚して、はや23年、籍を入れていない交際期間、同棲の1年ほども含めて9年間ほどだったはずなんで、現時点でかれこれ32年の付き合いということだ。

ちょっと思い起こしてみると、出会いの場所は、高校のプール、水泳部。

嫁が2年生のとき、私が新入部員で1年生のとき。

以前にも書いた気がせんでもないが、ここらあたりにも、描き方によっちゃあ奇跡とか偶然とか運命とか、何とでも描けそうな感じがある。

嫁も私も、小さいときからスイミングスクールに通っていて試合などにも出場し、いくつかの地区が集まっての大会くらいだったら入賞するくらいのタイムでは泳いでいたくらいだった。

関西大会となると、大阪には強豪多数で、決勝に残ることはなかったレベル。

まぁ、自分らの選手レベルについては置いておいて、そんな水泳との関係性の2人。

嫁は高校生になったとき「もう水泳はいいかな~」と、水泳部に入ることは考えていなくて、美術部とかいいかなぁとかも思っていながらも、何となくそのまま部活に入らずに2年生になったそうな。

そんなところへ、嫁が競泳選手だったことを知った同期の部員の人が声をかけてきたらしく、断固断る!というほどのことでもないから…と入部したという流れだったはず。

ここにひとつ、入部する気のなかった水泳部に誘われたので何となく入った、という「奇跡」か「偶然」か「運命」への布石があったわけだ。

一方の私。

嫁と同じく競泳選手として試合に出ていて、中学でも水泳部。

と言っても、スイミングスクールの方は、ちょうど色気づくころで少し悪ぶったりもしつつ、だんだんと足が遠退き、やんちゃな先輩と水泳部と言う名のもと、練習と言うよりは、学校のプールでワー!キャー!言いながら遊んでいた気がする。

(そう言えば、スタミナ鍛えるためにトライアスロンや!などと、学校の周りを走るのと水泳との総合タイムを競う練習とかしていた気も…。ずぶ濡れの生徒が学校の周りを走っているのも、今考えると、例えば、イジメじゃないかと通報され兼ねない感じだったかも)

ところで当時、私の通っていた中学校では、地元集中という考え方があって、いわゆる勉強の得意・不得意で、学校を選ぶのではなく、皆が同じ地元の高校へ進学しましょう、という運動があった。

学歴で人を判断すべきでない!という思想が、おおもとにあったんでしょうな。

私はめちゃくちゃ勉強ができるというほどではなかったけれど、誤解を恐れずに言うと?学校の通信簿レベルでは並みの上?上の下?くらいで、成績で困ることなく、普通に地元の高校受験には、問題なく合格するだろうという感じだった。

また、自分も両親も、進学校に行くべし!という考えもなく、とくに何も考えていなかったが、いわゆる「地元集中」ということが結構大きく取り上げられていて、進学校に行こうと考える人らが、だんだんと取りやめるようになったり…という流れがあった。

どこかに違和感というか、「いつもみんなで一緒に!」という風潮に馴染めなかったというか、何か新しいところに行きたいな、という気持ちが芽生えてきたんだろうか、別の高校を受験することにしたわけだ。

ちゃっかり、当時よく言われていた偏差値がちょっと高い高校だったが。

(偏差値…なつかしい)

ということで、私の側にもひとつ、地元集中に抗って、嫁と同じ高校に行くことになった、というターニングポイントが生じていたとも言える。

免疫の意味論/戸田富雄、動的平衡/福岡伸一、といったジャンルの本を読んでいるからか、自分の歩みを振り返ってみると、嫁や私、それぞれが、身体の細胞や分子などのミクロなものと、似たような動きをしているんだろうなぁと思うところがある。