
天然ではなく

嫁とのやりとりなどを旦那が書いているブログです。

うちでは、洗濯物をベランダとか外で干すことはほとんどない。
洗濯機はドラム式で、いちおう乾燥までやってくれるし。
ただ、洗いと乾燥を自動設定すると、大きめの洗濯物、例えばズボンとかのポケットあたりなんかが乾き切っていない時があったりする。
なのでだいたい、ズボンは洗濯機から出したあと、浴室乾燥機で数時間くらい追加で乾かすことが多い。
先日、嫁がそれに関連して、ある悩みを打ち明けてきた。
嫁「ズボンとかよくお風呂で乾かしてるやん」
私「うん、乾かしてる」
嫁「いつも浴室乾燥機してるの忘れて、お風呂場のドア開けたとき『うわっ…!』てなるねん」
私「なんでや…洗面所もぬくくなってるし、扉開けたら熱いの分かりそうなもんやけど」
嫁「熱いのは気にならへんねんけど『なんかあるっ!』って思うねん」
私「干しとるもんなぁ」
嫁「なんかある!てなるねん」
私「干してたズボンな」
嫁「うわ!て声出してしまう」
私「そないにびっくりなんや」
嫁「うん。自分の声がびっくりする」
私「すごいなぁ」
嫁「で、またびっくりしてもうた!と笑ってまうねん」
私「そうなんやな」
嫁「いっつも…!」
私「いっつも」
嫁「何回もびっくりするねん」
私「何回も」
嫁「もう何回も!」
と、なにやら、意志の疎通ができてるのかどうかさえ分からん会話の感じもするが、結局は、自分で干したズボンに何度もびっくりするようだ。
まぁ、嫁の持ち前の、イノシシ的な行動を想像すると、そういうことが繰り返されても不思議ではないかなぁと思うところはある。
そんな悩みを聞いてからしばらくしたある日の夜、仕事から帰ってきて、いつものように洗面所で手を洗った。
通常より室温が高くむっとしていたので「あぁ洗濯回してズボンを干してるんやなぁ」と思った。
ふと浴室のドアを見て「ふふふ」と笑った私である。

私「なかなか考えたな」
嫁「え?なにを?」
私「こないだ話してた、干してるズボンにびっくりするというやつ」
嫁「あ!そうそう!」
私「あれなら気づくかぁ」
嫁「あのシステムを導入したからもう大丈夫と思う!」
私「いやぁ、あんた自分をナメたらアカン、札を貼るのを忘れることありそう」
嫁「あるかも!あとは、貼ってるのに気付かんとかも!」
私「それあるかな…」
嫁「分かった!紙を外さないとドアが開かないとかは!?」
私「…そこまでする?」
・・・
どうやら、嫁が考案したシステムは、稼働初日から懸念事項が出てきたようで、さらなる改善が必要かも知れない。
夕方あまりにも眠くなってしまい、寝るのもったいないと思いつつ、こりゃいかん…ということでちょっと夕寝をした。
18時過ぎたくらいで、まだ就寝には早いし、いろいろやりたいと思って、目覚ましに川沿いまで行って散歩。
日曜の夕方、なにかいいアイデアが降りて来んかなぁと思って歩き始めたが、川沿いまで来て、水の音がええなぁとか、山きれいやなぁとか、途中で子供に水鉄砲うたれそうになったり、何でもない、ただの散歩をして帰ってきた。
「おかえり!」とともに、そんな話をすると、
「そういう時間も大事」
と言う嫁であった。

無駄なもの、余計なもの、という意味なんだと思っているが、蛇足という言葉がある。
私は、蛇足と聞いて思い浮かべる生き物は、まぁ、カナヘビとか、トカゲとかを連想するが、それでもちょっと、蛇に付くと言うくらいの足なんで、丈夫すぎるように思う。
妥当なところでウーパールーパーみたいな感じ?「ん?なんか付いてるぞ…」というくらいのイメージか。
そう、そういう感じの蛇の足なんやが、嫁と何か話をしているとき、たぶん私が「蛇足やなぁ」と言ったのだったと思うが、
私「蛇足やなぁ」
嫁「蛇に足つけたらムカデになる!」
私「えらいまたようけ」
嫁「そう?」
私「めちゃくちゃ『蛇足』やんか」
嫁「ヨシの話みたいや!」
私「俺そんな無駄な話してるんか」
嫁「あははは」
と、私の話における蛇足は、ムカデ・レベルということのようである。
スタジオジブリの作品に、皆さんご存知のとおり?「天空の城ラピュタ」というのがある。
かなり昔に嫁と観たんじゃないかと思う。
物語の最後の方で、確か、男の子と女の子、どちらが主人公だったか覚えていないが、天空の城を守るために、2人で「破壊の呪文」を唱えるところらへんがクライマックスだったという印象がある。
女の子は「その言葉は言ってはいけない」「口にしてはいけない」と、おばあさんからよく言われていたという設定もあったんじゃないか。
そういう布石を置いているようなやりとりもあったもんで、観ながら「どっかで口にする必要に迫られる場面があるんやろう」という読みもあった気がする。
そこへ来て、さぁいよいよ唱えなければ…!というシーンで出た言葉。
「バルス!」
どっか〜ん!
・・・
私「呪文、短ない?」
嫁「簡単やね(笑)」
私「もっとこう『Φ⚪︎π△∃Γαρξ…‼︎』みたいなん想像してたわ」
嫁「間違って言うてしまいそう(笑)」
と、同じように思ったようだ。
「何度も訪ねてるのに行け『ば留守やし』」→ どっかーん!
「あの力士は、頑『張る相』撲とりやなぁ」 → どっかーん!
ちょっと無理がある感じもするが、あちこちで爆発が起きそうである。
そんな話をしてたかしてなかったか「バルス」というのは、何かを引き起こす単語だということは、お互いに記憶に残っている。
ある日の夜、買い物か何かで一緒に外を歩いていたときのこと。
夕涼みみたいな感じで気持ち良い気候だった気がするが、ふと見上げると、マンションの灯りか、お月さんだったか、綺麗な風景に思う場所があったようで、
嫁「なんか幻想的〜♪」
と立ち止まって見上げていた。
ところがそのちょっと前から、私はと言えば「大」の方をもよおして来ており、とにかく早くトイレのあるところへ…という感じだった。
嫁が「幻想的」な風景を見ているときには、すでに「最悪は側溝もある…!」というくらいの状態だったのだ。
もうダメだと思い「ちょっと急ぐ…!」と、なんとか公共のトイレを見つけ難を逃れた。
危機一髪で助かったあと、
私「あ〜危なかった」
嫁「そんな感じやったんや!(笑)」
私「あんたが『幻想的〜♪』言うてるとき、ワシはめちゃくちゃ現実的な問題を抱えとったんや…」
嫁「あははは」
兎にも角にも、幻想的なことと現実的なことは、同時に起こり得るということを体験したのであった。
そして今日、始業前の朝の職場で空を見ると、太陽の周りに光の輪っかが出来ていて、ちょっと虹みたいに見えたので、写真を撮って、嫁にLINEで送った。
すると、しばらくして「幻想的〜」と返ってきた。
すると、どういうわけか、トイレに行きたくなってきてるような感じがしてきたのである。
我々にとって、というか、私にとって「幻想的」という言葉は「『大』の呪文」と言えるのかもしれない。
考えようによってはこれは便利な呪文で、お通じが悪いときには、積極的に使えるものだとも言える。
ただ、私は、便秘という経験がないので、やっぱり便利ではないかもしれない。
・・・
いや、私は今、いったい何の話をしているのだろうか。
こういうことが、幻想と現実な感じが気がするように思えなくもないのかどうか?
という、人生の問いであるという話があるのかどうか。
幸せなんやろうね。