君に幸せあれ〜ってな

嫁は丑年、私は寅年。

ひとつ上の姉さん女房ということになる。

「年上の嫁さんは金のわらじを履いてでも探せ」という、諺?言い伝え?もある。

一般には「ひとつ上の」というのが主流となっているようなので、うちの嫁はまさに、これに該当するわけだ。

もちろん今の時代、わらじを履いて生活している人はほとんど見かけないし、私も、靴を履いているわけで、まして、金のわらじを履いて嫁さんと結婚するに至ったわけではない。

この諺に、どういう深い意味があるのかないのかよく調べてもいないが、全体的に、私の場合は、嫁さんと結婚して良かったなぁと思っている。

どういうところが?と聞かれても、はいこれ!と具体的に分かりやすい例を挙げにくいのだが、なんやかんやありながらも、うまいこといってるんじゃないか、という感じだ。

嫁も私も、昔よりはいくらかお互いに合わせる感じも出てきたかもしれないが、なんとなく、嫁が私に合わせてくれているような気がすることがある。

そして、ホントにそれでいいのかなぁと思ったりすることもある。

結婚したとしても、嫁の人生、私の人生であって、束縛や強制は、あるべきじゃないと思う。

一緒にいるということで、お互いが納得できるところ、落とし所を見つけようとしていくことになるんだろうか。

ただ、落とし所と言っても、妥協のようなものだと良くない気がする。

そうだなぁ、お互いの人生を合わせて、1人では成せなかった、新しい人生を作っていく、と言った方がいい感じかな。

川の小さな支流が、それぞれ紆余曲折くねくねしながら、合わさって本流となって一緒に流れていくような、そんな感じか。

嫁は、自分の人生を、そして、私と合わせた2人の人生をどう考えて、思って、感じているんだろうな。

金のわらじは履いていなかったけれども、出会って結婚して良かったと、私は思っている。

だからこそ、嫁にももっと幸せになって欲しい…なんて、月並みな表現だが、そういう思う。

さぁ、そして…

たまぁに、そんなことも思ったりするわけです。

奥様は魔女だったのです、か?

嫁が左手で飯を食っている。

しばらく気づかぬふりをしていたが、私の方が我慢できなくなった。

私 「何してんねんな?」

嫁 「ん?」

私 「いや、なんで左手で食うてんのな」

嫁 「あぁ、いつもと違う筋肉使おと思って」

私 「筋肉使うて…」

嫁 「うん」

私 「ダイエットとかじゃなく…」

嫁 「うん、ちがう」

私 「そうなんや…」

と、聞いてみたものの「いつもと違う筋肉を使う」という目的以外に、情報は得られずだった。

嫁はときどきそういうことをする。

こんなふうに聞いてみるのではあるが、どうにも、フワッとした感じというか、結論がないというか、少なくとも私がどこか納得できない感じで話が終わることがある。

私の腹におさまるように問い詰めるほどのことではないし、当の嫁は「いつもと違う筋肉を使う」ということ以外の理由はなさそうなので、ほとんど掘り下げることはないのだが、とにきあんまりしつこく聞くと、

「どこが気になんの?」

「それの何が面白いん?」

という感じで、質問しているこっちがおかしいのではないかと思わされる。

新手のディベート戦略、あるいは、ちょっとした忍法か魔術、とでも言えるもののようでもある。

私の奥様は魔女なのかもしれない?

消費期限を目標に

嫁が、スポーツクラブの株主優待券を、順調に消費しているようだ。

ここ数週間は、火曜日が「体育の日」と設定しているようで、昨夜の寝しなにそんなことを言っていた記憶がある。

勤め先から帰宅して、思い出して何の気なしに聞いてみると「行ったで!」とのこと。

なぜか私も「おーよう行った!」と答えた気がする。

もともと私ら、いわゆる体育会系で育ったようなところがあるんで、目標に向かって頑張る、という性癖は、少なからずある気がする。

もしかすると、嫁の方が徹底している感じもあって、今回のようにちょっとした達成があると、私も少し、感動というとかなり大袈裟だが、お!と思わされるところがある。

中年になって、運動する機会があまりないんで、ものぐさな?嫁が、すぐに必要とされないが、たぶん大事なこと、と思われる、運動しに行くというのは、私的には評価に値するという感じか。

本来は、行きたくて行くものだが、優待券を消費するために行く、というのもどうかという意見もあるが、そうでもして運動することも、時には必要ではないかと思う。

必要と思うことも人それぞれと言えども、分野によっては、少々プレッシャーに感じるようなことでも、ある方がいいのかもしれないなぁと思う。

嫁のことばかり面白がって書いているが、私にも同じように言えることだよなぁ。

私なら、週末に買った食材を、食べずに捨てることになるともったいなくて落ち込むので、もし、その日食べたくないものでも、なんとか消費しないといけない…と思う感じだろうか。

そのあたりの感覚のすり合わせは、私らが生きている間の、晩酌などで理解を深めて行けばいいのかなぁ。

私らの放電

朝晩めっきり寒くなってきましたが。

とくに冬場は、風呂に入って湯舟に浸かれるというのは、幸せのひとつと言えると思う。

冷えた体で入ると、初めは熱く感じる。

嫁曰く「チリチリする」ということらしいが、だんだんと慣れてきて「ふぅ〜」と、体が温もる感じはいいもんだ。

ところで、脱衣所で風呂に入るところだった嫁は、「寒い寒い!」と言いながらセーターを脱いで、急いで風呂場に入ろうとしているところに、先に入った私もいた。

バタバタしている嫁を見て「愛おしいやっちゃなぁ」と頭を触ろうと手を伸ばしたところ、

バチッ!

私 「イタッ…!」

嫁 「あははは!静電気!」

もう大丈夫だろうともう一度、頭に手を伸ばすと、

バチ!!

私 「アタッ…!!」

嫁 「あはははは!」

私 「イッテェなぁ…」

嫁 「セーター脱いだからや!(笑)」

私 「1回で放電し切ってくれや…」

嫁 「ラムちゃんみたい(笑)」

私 「体型がちゃうけどな(笑)」

嫁 「…」

私 「空気が凍ったがな…」

・・・

冬場に静電気、というのはよく言われるが、ここ何年か、お互いに頻繁にあちこちで放電している記憶がある。

おそらく、潤いが減ってきているのだろうと思うが、それも、2人して生きている証、と言っておきましょう。

そういや、椎名林檎「私と放電」というアルバムがありましたなぁ。