物理学者の名前

嫁と簿記の話をしていて、私が全然理解できていないことが、改めて証明された。 過去の記事「簿記3級に落ちる」

過去の記事「簿記3級」 いわゆる学業としては、我々夫婦は、平均よりちょっと上くらいで学生時代を送ってきたと思うのだが、やっぱり得意なものと、苦手なものはある。

それでも、いろいろ考えると、嫁の方が習ったことの理解度が高い気がするのだ。

ちゃんと理解しているというか、ちゃんと腹におさまっている、という感じがする。 簿記の話で私は散々だったので、嫁が知らないであろう、物理まわりで問題を出してみることにした。

私 「マクスウェルとかって聞いたことある?」

嫁 「知らん」

私 「電磁気学の人やねんけど。こういうのが出てくる前の物理ってことやな」

嫁 「電磁気ってアレちゃうん、指3本立てて方向があるやつ!」

私 「お、それ知ってるんや、じゃぁそれを考えだした人の名前は?」

嫁 「えー!何やったかな~・・・」

私 「ヒント出そか?」

嫁 「アカン、全っ然出てけぇへん」

私 「王子動物園」

嫁 「パンダ!」

私 「いや、王子動物園っていうたらパンダは推しかもしれんけどやな、王子動物園の問題じゃないから・・・」

嫁 「コアラ!」

私 「それもおるけどもやな・・・」

嫁 「え~じゃあ何よ」

私 「実はあそこの動物園、国内で初めて、ある鳥の人工ふ化に成功したらしいねん」

嫁 「あ!フラミンゴ!・・・あ!フレミング!」

私 「あたり!」

嫁 「よっしゃあ~」

私 「フレミングの左手の法則、右手もあったよな。電流と磁場と力の関係のやっちゃな」

嫁 「当たった!当たった!」

 ・  ・ ・

パンダの左手の法則、コアラの右手の法則、というのは無いと思うし、クイズの趣旨が忘れ去られているのではあるが、王子動物園という言葉に反応する素早さはなかなかのもの。

記憶を呼び戻すクイズに集中する嫁であった。

簿記3級

勉強ができる、できないというのがある。

子どもでも大学生でも、学校の成績が良い悪いというのは、気にされることが多いと思う。

それぞれの家庭で、教育方針みたいなものがあるだろうけれど、学校の成績は、悪いより良い方が、何かといい気がするものだ。

でも、学校で教えられる教科の成績が良いか良くないかと、賢い、賢くないというのは、ちょっと違うんだろうなぁというのが私の意見。

学校の成績が良いというのは、数学でも国語でも、そのルールを覚えられるか、ということに近い気がする。

得意な教科、苦手な教科、皆それぞれであったと思うのだが、どうして、教科によって得手不得手があるのか。

私も嫁も、学校の成績は結構いい方だったようだ。

学校の勉強で困ったことはあんまりなかった気がする。

それは、もともとの要領の良さもあったのだろうと思う。

また、どちらも、子どものときから水泳の選手コースでそれなりにキツイ練習をやってきたなど、いわゆる体育会系の気質が少しあり、分からないことがあっても、まずは諦めずに何とかついて行こうとする性格も、影響があったのかもしれない。

ただ、誰でも頑張れば分かるようになる、というのは、一概に言えないのではないかとちょっと思うのである。

何年か前に、会計のことを勉強する機会があり、せっかくなので、簿記試験を受けてみようということになった。

まったく知らない分野で、とりあえず簿記3級を受けてみたのだ。

そして、落ちた。

私 「簿記3級落ちたんですよ」

友人 「あ・・・まぁ試験ってね・・・」

と気をつかわれたこともある。

一般的には、ちょっと勉強すれば3級は受かると思われているものなのかもしれない。

ただ、自分の理解度から考えると、真っ当な結果だと納得している。

ある日の晩酌で、簿記の問題を出してくれたのだが・・・

嫁 「クレジットカードで商品を購入しました、さて、借方、貸方の仕分けは?」

私 「そもそも、借方、貸方って意味が分からへんねや」

嫁 「そこ?」

などという会話になる。

結局、嫁の説明で、

嫁 「イメージとしていえば、右手で投げて左手で受ける。右が貸方、左が借方、って感じで覚えたら?」

というのが、いちばん私には理解に近づく説明のように感じた。

私 「とりあえず覚えるわ。でも、貸し借りだけじゃないのに、貸方、借方ってなぁ・・・」

嫁 「う~ん、私あんまり借方、貸方っていうの気にしたことないんやけどなぁ・・・」

理解しようという気があったとしても、理解しようと頑張るときのベクトル、アプローチの仕方がずれていると、無駄な努力をしてしまうことがあるように思う。

子どもの勉強についても、頑張ったらできる!というのはちょっと違ってて、何が分からないのか、どこでつまずいているのかを、見つけ出すことがポイントになる気がする。

私が複式簿記を理解できる日がくるのだろうか。

簿記3級のリターンマッチをするかどうかは分からないが、私が簿記のルールを理解できたとしたら、人に対するいろんなことの説明が、少し上手になるかもしれないな、と思ったりするのである。

透視の練習

超能力とか超常現象とかの話。

私自身、とくに信じているわけじゃないけれども、そういう類のものはロマン?があっていいなとは思う。

本当だったら面白いなぁと思うし、それを研究したり、追求したりしている人も面白いことをやってるなと思う。

信じているかと聞かれると、はっきり答えられないが、アンチではない。

「ホンマかいな?」というのと「そんなことがあるとは不思議やね〜」というの、どっちもある。

私も嫁も、どちらかというと現実的な考え方をする方だと思うし、そういうのにどハマりすることはなさそうだな。

それでも、第六感という言い方をされると、それはあるんかもしれんと感じることがある。

超能力とか超常現象とかと同じようなジャンルになるのか分からないが、いわゆる「虫の知らせ」とか「何となく」という感覚的なところに関わる出来事って、結構あるように思う。

例えば、引っ越しするときなどに、いろんな家を内覧したときに「いい感じ」とか「ここは無いな」とか感じるとかもそうじゃないか。

初対面の人でもそうかもしれない。

第一印象とは全然違った…てなこともあるから、その感覚が合っているかどうかは分からないのだけれど。

以前、第六感を鍛えることができる、というような話を聞いたか読んだかで、嫁と話をしていた。

それを私は覚えていて、あるビルのエレベーターで待っているとき、

私 「俺、最近、エレベーターに何人乗ってるか透視しようとしてるねん」

と言った。

嫁 「・・・」

と、返事がなく、どうも納得してないようだった。

しばらく間をおいて、

私 「…嘘やけど」

と言うと、

嫁 「嘘かい!」

と、スッキリした様子だ。

嫁 「いや〜珍しいなぁと思ってん。そんなことするかなぁって」

いろいろな言動が、私らしいものなのかどうかは、自分で考えるより、嫁に聞く方が合っているのかもしれない。

主夫宣言?

先日の「関白宣言」の記事で、夫婦・男女の、仕事とか家事とか、その分担などについて、嫁と話をしたということを書いた。

私個人的にはどちらがどっちかをやるべきだ、というようなこだわりはないので、主夫であろうと主婦であろうと、どっちだっていい。

嫁もそれについては同じような意見のようで、むしろ何とか大金持ちになりたいと思っているくらいだろうと思う。

そんな話をしているときに、冗談半分に、

私「もし、あんたが、めちゃくちゃ稼いできてくれたら、俺は毎日、裸エプロンで晩飯の準備して迎えてあげるわぁ…」

嫁「やったー!」

すでに、めちゃくちゃ稼いでいることが決まっているかのごとく、喜んだ。

裸エプロンに喜んだわけではないだろうと思うが・・・

嫁「っていうかさ、裸エプロン、そんなに面白くないし、そもそもその設定ってなんか古い・・・」

私「すまん」

確かに・・・そもそも、裸エプロンについては、(昔から)嫁に対する願望でもないし、自分の性癖でもないのに、ちょっとインパクトがあるように言ってみようと、盛った感じがあった。

私の、ちょっと奇をてらったモノ言いは、嫁にはまったく通じないのである。

関白宣言

私の実家の家庭は、いわゆる一般的な昭和の家庭、という感じだったのではないかと思う。

どういうのを「一般的」「普通」というのかは一概には言えないけども、父が外で働き、母が家事、という分担で、それが当たり前のように回っていた感じ。

家族の団欒には、会話も笑いもあったけど、父のタイプとしては、いわゆる「メシ」「風呂」「茶」という雰囲気の人、と言った方がイメージがしやすいんじゃないかと思う。

家事といえば99%が母だったろう。

男は仕事、女は家事、という言い方は、いろいろと論議を引き起こしがちな話題だけれど、その家庭がその分担でうまく回っているのであれば、どっちだっていいというのが私の考えだ。

ある女の人が「女は家事して、旦那に尽くして、まるで男の奴隷みたい」と言っていたのを聞いたことがあるが、そういう人達からすると、私の家庭はまさにそのように見えていたかもしれない。

でも、中にいる私なり、両親は、そうは思っていなかっただろうと思う。

仕事と家事、男と女の役割、そういう話を嫁としていて、ふと、だいぶん前のさだまさしさんの歌で「関白宣言」という歌の話になった。

うちの嫁は、一般的にイメージされやすい、いわゆる「旦那に尽くす」というタイプの女性ではないと思う。

「関白宣言」これが発売された時、世の女性からかなりのブーイングが起こった、という話になった時、嫁曰く、

嫁 「この歌は最後まで聞かな良さが分からへんのにぃ」

とのことだ。

嫁 「あの曲を上っ面で解釈すると、そういう文句も出て来るかもしれへんけど、主人公の男の人が、どれだけ奥さん、家族を大切に思っているか、ってことが理解できるかどうかやと思う」

生活スタイル、夫婦の役割分担は、夫婦の数だけあっていいと思うけれど、そこに、愛…とまでカッコよく言わなくても、愛情?協力体制?みたいなものがあるかどうかがポイントなんじゃないか。

どういう夫婦、家族の役割分担でもいいから、それぞれが、必要だと思うこと、得意分野で働いて、その家庭に貢献できていればいいのだと思う。

炊事、洗濯、掃除といった家事、あるいは、外に出て担う仕事、そのどちらも、その家庭に必要と考えるから、その人がやっていることで、だから、どちらがどちらをやってもいいし、優劣はないと思う。

何を言っても私は男だから、女性の気持ち、嫁の気持ちは分からないかもしれないが、男はこういうもんだ、女はこういうもんだ、というのはよくない気がする。

お互いの希望する形を、実現していこうとするのが、夫婦生活、家庭生活というものなんじゃないかと思う。

「関白宣言」の始まりは、

お前を嫁にもらう前に
言っておきたいことがある
かなり厳しい話もするが
俺の本音を聴いておけ

女性はどう思うのだろう。

今風、令和風?に訳すと、

君と結婚したいと思ってるねんけど
ちゃんと僕の本音を言っておいた方が
お互いのためやと思うし
話 聴いといて欲しい

ということだ。

言葉尻を掴むんじゃなくて、その人が言おうとしていることを汲み取ろうとするのが、会話なんだろうなぁと、改めて思った次第です。