言葉のチョイス

嫁、あるいは旦那の言葉のチョイスで、気になるところってないでしょうか。

いい意味もあるだろうし、良くない意味でもあるだろうと思う。

今回、私が書こうと思っているのは、嫁の言葉のチョイスで、笑ってしまった例だ。

例えば、私がブタ鼻になるとウケることが多い。

私が笑って、ついついブタ鼻になった時などはかなりの確率でウケてるんじゃないかと思う。

(もちろん喧嘩しているときにブタ鼻なんかやったら、雪女のように冷たい、刺すような視線を浴びせられることだろうが…)

先日、何かの拍子に、きっと嫁が私のツボに入るような言動をしたのだと思うが、私が吹いてでっかい音のブタ鼻になったとき、

「あはは!むちゃくちゃブタや!」と。

むちゃくちゃブタ。

また別のとき、同じく私がツボって、おそらくこれも嫁の言動が引き金になったんだろうと思うが、ブタ鼻を小刻みに連続してしまった際には、

「あはは!ブタが過ぎるで!」と。

ブタが過ぎる。

どこか不思議な使い方のように感じてしまうのは私だけだろうか。

また、今度はブタじゃなく鳥の話で、

私 「アテ作るけど食べたいもんある?」

嫁 「えーっと、鳥もも肉、唐揚げ粉で食べたい。」と。

「モモの唐揚げ食べたい」ではなく。

私は何を作ったらいいのか。

唐揚げではなく、鳥モモを焼くなり煮るなりあげるなりした後に、唐揚げ粉をつけて食べる?

よくよく聴いてみると、相手のボキャブラリーというか、言葉の使い方は、意外に面白いものが含まれていたりするかもしれません。

ただ、こういう話を嫁にしても

「そんなことが面白いの?」

とのこと。

いずれにせよ、くれぐれも、お互いが楽しめる揚げ足取りであることが大事だと思います。

ビュッフェ

先日、久しぶりに旅行に出かけた。

ここ1年くらいかなり忙しくて、純粋に遊びらしい遊びをしていなかったし、気分転換も必要だろうと、結婚19周年という名目をつけて出かけた。

旅行へ行くときは、だいたい嫁がどこへ泊るかなどの段取りをしてくれる。

私はそういうのが苦手というわけではないが、途中で面倒に、というと語弊があるが、まぁどこでもいいや、と適当に決めてしまうところがあるように思う。

だいたいそういうことは嫁に任せておいた方が、良いところを選んでくれる感じがある。

今回もどこへ行くかなどは晩酌のときにちょっとだけ話して、とくにそのときに決定はせずに、嫁にお任せ。

いろいろとめぐる場所などを話したようにも思うが、最終的に宿だけ決めて、あとはどこに行くかなどは未定のまま出発。

決めたことを強いて言えば、行く途中で、借りているレンタル漫画を返しにツタヤへ寄る、ということくらいだった。

とりあえず向かう。

皆さんどうか分からないが、私はサービスエリアが好きだ。

不必要に停まりたくなる。

フードコートも好きだし、屋台みたいなのが好きだし、何しろ、旅の感覚を楽しめる。

結局、我々の旅行というのは、行き先はどこでも、旅行をしていることそのものを楽しむところがあるのだろうと思う。

それと私が好きなのは、ビュッフェ。

この言い方も最近やっと馴染んだが、自分がよりなれている言い方はバイキング。

でもここでは、生まれ変わった私としてビュッフェと言おう。

嫁に宿を決めてもらうとき、ビュッフェのあるところ!と頼んだりすることがよくあったな。

ビュッフェの好きなところ、

好きな料理を選べて、少量の試し食いができる。

好きな量だけ取って来れるので、足りないということがない。

ウェイトレス、ウェイターに頼まなくて良く、自分のペースで食事ができる。

など、まるで、メリットだらけであるかのようだ。

とりあえず、1回目、2回目くらいは、並んでいる料理をひと通りは食べて、3回目以降くらいで気に入ったものを取ってくる。

お互いにとってきた料理を食べつつ、
「それどこにあったん?」
「これオイシイで」
などと言いながら食べる。

これまでの旅行は、だいたい夜はコース、朝がビュッフェ、というパターンが多かったが、今回は朝夕ともにビュッフェだった。

嫁があえて選んでくれたのかもしれない。

ビュッフェでデメリットがあるとすれば、食い過ぎることだ。

今回の夕食ビュッフェは、お腹が張り過ぎてちょっと痛い…というくらいになってしまった。

夕食後に部屋で晩酌をしようと、宿に着く前にコンビニで買ってきて冷蔵庫で冷やしておいたビールも、もう入らない状態だった。

それでも人間とは不思議なもので、朝にはお腹が空いていて、朝食ビュッフェにテンションがあがる。

昨夜の過ちをフィードバックして、少々控えめを意識して。

私は軽めに3回取りに行った。

嫁もラストということで立ち上がり、ニコニコしながら帰ってきたときのお盆をみると、ご飯とみそ汁、という2品だった。

今回の宿、ビュッフェ用のメインのお皿は、30cm角くらいのサイズで、3×3の小さなお皿が繋がったような形になっていて、いろんな料理をちょっとずつ載せられるようになっていた。

そのちょっと変わった、ビュッフェにはとても便利な皿を使わずに、茶碗を2つ用いて、ご飯とみそ汁、だ。

お盆をみたときにとっさに「侍の食事」のように見え、笑顔で持ってくる嫁に笑ってしまった。

侍と嫁。

少なくとも嫁には、容姿として「侍」という雰囲気はみじんもない。

お互い様の頑固さみたいなものは持っているが、その頑固さはどちらかというと「牛」だろう。

テコでも動かんというか?

寝ているときなどはまさに「牛」だ。

ともかく、今回の旅のビュッフェでは、私にとっての新しい嫁の図、

「侍の食事をする嫁」

というイメージが生み出された。

こういうことで楽しんでいるのだから、場所はどこでもいいし、世話ないなと・・・


あなた、泣いているの?

我々夫婦は、「映画好き」というほどではないと思うが、ときどきレンタルでDVDを借りてきて家で観たり、映画館へ出向いたりする。

頻度としては、数カ月に1度くらいだろうか。

映画館へ観に行って見た作品で、いちばん最近のは、ドイツの映画「希望の灯り」。

その前は、インド映画「バジュランギおじさんと、小さな迷子」。

どちらもいろいろ思い巡らせることがあって、いい映画だったなと思った。

その前は・・・と考えると、結構な数を一緒に見に行ったんだなぁと思うが、思い出すのにも時間がかかりそうなのでこれくらいに。

だいたい映画館を出た後は、「どうだった?」から始まり、賛否や、どのシーンが良かった、分からんかったなどと感想を話す。

この時間も、映画を観ている時間と同じくらいか、それ以上に楽しいものだ。

結構、同じところで気持ちが動いていたり、感想を言い合いつつ「あーそこも良かったなー」ということも多いので、その辺りのフェイズというか、好みは近いのかもしれない。

ところで、観に行った映画すべてが「良かったね」となるわけではなく、我々的にはイマイチだったなというものもある。

ある映画では、後から聞いた話だが、嫁としては冒頭から「あぁ…こういうノリかぁ…厳しい…」と思っていたそうだ。

私は最初は分からなかったが、物語が進むにつれて、だんだんと気持ちが離れていって、最後の方は、見どころを何とか探そうとしていたような記憶もあるようなないような・・・。

映画の途中で、「どうね、これ?」といった感じでお互いに顔を見合わせることもあったかもしれない。

ただ、その映画を観ている最中に、私が鼻をすすっている時間があったらしく、嫁は、私が感動して涙していると思ったらしく、気をつかって「面白くない」空気を出さないようにしてくれていたようだ。

映画が終わって嫁から「どうやった?」と聞かれ、「なんかよう分からんかった」と答えた私に、嫁は、

「やんなぁ! 途中で鼻すすってたから『え・・・!泣いてんの!?』って思うたよ~。感動してたら邪魔すんの悪いしさぁ」

と。

嫁は、自分と重なっていない私の価値観というかツボみたいなものを見つけても、それを排除しようとしない感じのところがある。

それは、お互いにうまく付き合える、ちょっとしたコツみたいなものなのかもしれない。

嫁にとって、どうしても認められないところがあった場合は、その話をちゃんとしてくるだろうと思う。

そうそう、これは嫁に聞いた話だったと思うが、人間は「価値観が合う」ということよりも、「これはダメだ、イヤだ、というのが一致していること」の方が重要らしい。

言われてみれば、価値観の完全一致を、たとえ夫婦間であっても、要求できることではないし、なんとも納得させられてしまう話だ。

海水浴

何年か前までは、毎年のように夫婦2人で海水浴場へ行っていた時期がある。

もっと以前は、海でがっつり泳ぐなり、浮き輪に乗ってはしゃいだり、ぼーっと浮き輪に浮かんで揺られてみたりしていたか。

私は浮き輪でゆられるようなのは酔ってしまうのでダメだったが…。

そういうのを何年かやってきて、だんだんと、ちょっと海に浸かって軽く泳いで、ひと息ついて休憩がてら、クーラーボックスで冷やしつつ持ってきたビールを気分良く浜辺で飲む。

ちょっとほろ酔いになってきたら、酔い覚ましにまた軽く水へ浸かる、を何度か繰り返しながら夏を、海をを楽しむ、という感じになった。

そう言えばここ数年は行ってない気がする。

行ってしまえばきっと楽しめるんだろうけど、ちょっと面倒になっているところもあるかもしれない。

もうすぐ夏がやってくるということで、そんなことを思い起こしていたら、いつ頃だったか、ある年の海水浴のことを思い出した。

それなりに遊んで浜辺でまったりしつつ、最後にちょっと浸かろうかという感じで、嫁は海の方へ向かった。

後ろから眺めていると、嫁は波打ち際に腰を下ろして、足を前に伸ばして座って自分の足を砂に埋め始めた。

しばらくすると、小学校1,2年生くらいの子だろうか、女の子が嫁の方に近づいてきて、2メートルくらい離れたところで同じように足を前に出して座り、自分の足を砂に埋め始めた。

大きいの(←殴られるかも)と小さいのが同じ格好をして、波打ち際で砂と戯れている図。

その時、スマホ持っていたっけな?

写真を撮っていたら、結構お気に入りの一枚になっていたかもしれないが。

なんとなく思うのだが、嫁が何の気なしに砂で遊んでいるのをみて、女の子は「楽しそ〜」と思って寄ってきたんじゃないかなと。

嫁にはそういった、童心を引き寄せる何かがあるような気がする。

そういう意味では、少し私も似ているところがあるかもしれない。

昔、ネイチャーゲームとか言って、自然に溶け込むというコンセプトだったか、山とかでも、枯葉の中に体を埋めてじぃ〜っとしているような活動が流行ったことがあったような気がする。

考えてみると、嫁は海辺の砂に埋まるのが好きなのかもしれない。

別の年の海水浴で、顔の正面だけ砂から出したような状態で、身体全体を埋めるようなことをしていることがあった。

たぶん、関西圏、京都府か兵庫県の北部か、あるいは淡路島あたりの時だったと思う。

その数日後、嫁は耳に入って自分では取り切れない砂を取ってもらうために、耳鼻科へ行ったようだ。

そこの先生に、とても細かい砂だったので海外ですか?と聞かれたらしい。

淡路島のときだったら「ええまぁ、そうですの」と答えたのだろうか。

そういう「ええカッコしい」のところは嫁にはないなぁ・・・

雑さ

ふと「雑」の反対語、対義語が何かと調べたら、ネットの辞書では「純」「整」などと出てきた。

漢字ってひと文字でいろんな意味があるから、もとの字がどういう意味で使われるかによって、反対語も変わってくるんだろうな。

私がいま知りたかったのは、どちらかというと、「雑」に対する「整」に近いか。

「雑」という漢字を置き換える言葉を調べると、こんなのが出てきた。

「質が低い」という観点からは、粗末、ひどい出来、C級。

対応などに欠けている部分があるという点からは、いいかげん、ぞんざい、テキトー。

「洗練度が低い」という観点では、未熟、大ざっぱ、大まか、大味。

とか。

ぱっと二者択一で対比するなら、

嫁 ⇒ 「雑」
私 ⇒ 「整」

という構図になるのではないか。

我々を知っている人、嫁のことを知っている人は、「あはは!そうかも〜!」となると思うが、嫁を見たことあるというくらいの人は「へ〜!意外〜!」という感じになるのではないだろうか。

良いとか悪いとか言うことではないが、嫁は、親をして「イノシシ」と評される気質を持っているようだ。

私は会社員として20年くらいを過ごしているが、嫁は、数多くのバイトをやったり、フランチャイズをやったりしてきた。

また、学生時代は、何ヶ所か海外へも出て、ある国では犬に噛まれて、狂犬病の恐れがあるとか言うので、その国で注射を受けたり、帰国してから、日本の病院で分からん注射受けたらダメだと注意されたり。

イノシシの例えが言い得て妙だなと思うのは、嫁は「ウリ坊」の一面も持っていると感じるからだ。

以前、JAFのパンフレットの表紙がウリ坊だったときに、確か記事の中に「イノシシの子どもが川に浸かってしまっていて冷えて?動けなくったっていたのを地面に上げてあげると、安心したのか眠ってしまいました」とかいうのがあったと思うが、それを読んで私は「あんなみたいや」と言って笑った覚えがある。

こうやって書きながら考えていると、嫁に対して「雑」という言い方は少し違うかなぁとも思えてきた。

大ざっぱ、大味、という方がいいのかもしれない。

・・・う~ん、それも違うか・・・。

私がかなりいいかげんで、嫁が断然計画性があるところもあるし、ジャンルによってもいろいろだしなぁ。

あぁ・・・相対的に考えるなら、嫁に比べると逆に私が「細かい」「ちまちましている」「優柔不断」「小さい」などと表現する方がしっくりくるように思えてきた・・・

嫁のことを「雑」、対比して自分のことを「整」として、記事を書こうと思って書き始めたんだが、そう画一的に言えるようなものではないな・・・

しかも書きながら、嫁って「雑」という文字はあんまり当てはまらんなぁと思えてきた。

何だそりゃ。