例えば、嫁の記憶の中の私の誕生日の呼び出し方法の不可解さ?

先日、嫁事業のことを書いたが、この数ヶ月のうちに、普通にアルバイトやパートに出るくらいの利益は生み出ている。

時間の許す限り、私も積極的に一緒に活動しているのやが、朝早く出て行き夜遅く帰ってくるサラリーマンとしては、勤め先が休みのときにがっつりやる、という形になっている。

なのでどうしても、この仕事に関しては嫁主導になってしまい、やることも嫁がかなりの部分を担っていて、嫁がおらんと回らないのが実情だ。

それでも私としては、勤め先からの給料が入るよりも、例えば、ここでいう嫁事業のような、自分らの仕事としてやっていることで収入が得られるというのは、嬉しさがあるものだ。

そんな嫁事業、それなりに成果が上がってくると、今日は?今月は?と気になり出すもので、成果が良ければ喜ぶし、芳しくなければ少し凹むし、まだまだヒヨッ子ハートの私は、一喜一憂してしまうところもある。

先日、その成果として30という数字が出た。

それはなかなかの数字で、2人して「お祝いや」と晩酌を始めた。

私 「嫁事業、今日は30で打ち止めって感じやな」

嫁 「良い方やんね!」

私 「なんか俺、受かった資格試験の受験番号にしろ、30っていう数字は縁があるような気がするわ」

嫁 「ほんまや!誕生日!」

私 「え、いや、俺の誕生日は31や」

嫁 「あ、ほんまや〜あははは!」

私の誕生日には、確か毎年お祝いカードをくれたり、プレゼントをくれていたはずなんやが、ここへ来て、誕生日の日付を正確には知らないという事実を突きつけられたのである。

覚えておいて欲しいという強い願望があるわけではないし、たとえ忘れていたとしもショックを受けることもないんやが、確か知っているはず、覚えているはずの数字を、ここまで見事に間違えるという、その、嫁の、何らかの力量に驚くのである。

あと、30年か40年かくらいして、お互いに少々ボケてきたとかなったとき、私は嫁がボケたのかどうかが、分かるのだろうか…てな。

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