私の2022年の誕生日あたりのメモ

朝晩がちょっと涼しくなって過ごしやすいなぁと感じると、今年の夏ももう終わりなんやなぁと思う。

夏の終わりの時期は、ガラにもなく毎年ちょっと切ない感じになる。

夏休みの終わりが切ないのかなぁと思ったりもするが、学校に行くのがイヤという経験はあまりなかった方なので、長期の休みが終わることとはあまり因果関係がなさそうだ。

私が晩夏生まれということと関係があるのかないのか。

幼児期からスイミングスクールに通っていて、中学、高校と学校の水泳部にいて、野外プールで水泳の練習をしていたこと、高校の水泳部では嫁と出会ったこと…

そのあたりの経験が、この時期の切なさの出どころ??

いや〜、そんなもんでもなかろうなぁ。

思い起こしてみると、何やら水とは付き合いが長くなったこともあり、縁ができたのかもしれんねぇ、

山か海かと言われれば、海が好きやし。

そうそう、何年か前に嫁が言っていた。

嫁「ヨシの誕生日の時期は、毎年ちょっと暑さが和らいできたなぁと思うねん」

それを聞いてから、自分の誕生日あたりにふと意識してみると、確かにそんな感じがするなぁと。

夏の終わりには、どこか切なさを感じる私だが、嫁は四季の中では秋が1番好きだと言っている。

それによって、じゃあまぁいいか…と、少し自分の切なさが緩和される感覚もあったりする。

分けて言えば、暑がりの嫁、寒がりの私。

嫁「春ってまだ寒い!って印象やけど、秋はだんだん涼しくなってきて、過ごしやすくなってくる感じがいいやん?」

それが好きなんだとのこと。

アラフィフ、50才目前の夫婦ということで、誕生日だと言っても、そんなに特別な意識もないし、やれイベントだというような感覚はないものの、私の誕生日あたりは過ごしやすくなってくる、と言っていた嫁の言葉に、うまく言えないが、なにか、あたたかさ?みたいなものを感じたのだ。

私が生まれた日は「あたたかさ」を以って続いていくものである?ような…

それを感じるために、僕らは頑張るのではなかろうか!

…なんてことは置いておいて^^;

そうそう、嫁の誕生日の時期は、これまで、どういう季節だったろうか。

季節はこれからも経験できると思うが、確か、誕生のその日、雷雨の中で産声を上げたと聞いている。

複数の情報元があるので確かだろう。

私はもしかすると、大変な相手と結婚してしまったのやも知れぬぞ…(^^)

エスカレーターが怖い? 2022.08

いつも行くショッピングモールで、エスカレーターを降りようとしているとき、あるお父さんと、小学校低学年くらいの?男の子が我々の前にいた。

どうも、男の子は、エスカレーターが怖いのか、乗るのに躊躇していた感じがあった。

それに加えて、乗る直前に、手に持っていた何かを落としてしまい、お父さんは先に乗ってしまって降りていき始めた。

男の子は落とした何かを拾いあげたが、乗るのも怖かったのかもたもた…。

数段下からお父さんは「怖くない!早く乗りなさい!」と。

我々含め、後ろから他の人が並んでいることもあり、お父さんも困ってイライラという感じだったんだろうなぁ。

男の子はその場に座り込んで、その態勢でエスカレーターに乗り込もうとした。

私はありゃありゃと思いつつ、下りエスカレーターに乗るときは、落ちさえしなければ、引き込まれたりしないので危なさはないだろう、降りるときにも座っていたら、抱え上げようと思って、成り行きを見ていた。

そんな数秒のドタバタの中、私の横にいた嫁がすっと前に出て、その子と手を繋いで、男の子と一緒にエスカレーターに乗り込んだのであった。

乗るときに繋いだ手は放した状態で、男の子と嫁は2人並んでエスカレーターを下っていく。

それを1段飛ばしの後ろから私は眺めていた。

そして、いよいよ降りるタイミングが近づいたときに、嫁はすっと男の子の方に手を差し出すと、普通に男の子は、嫁と手を繋ぎ「よいしょ」という感じでエスカレーターを降りたのだった。

下で待っていたお父さんは「すみません、ありがとうございます」と。

お父さんはお父さんで、まわりの迷惑になるし困ってちょっときつめに言ったような感じだったのかなと思う。

そんなことがあって、ふと思い巡らせてみる。

一般的に、できて当然と思っていることでも、人によっては苦手な場合があるのよね。

ましてや、子供と大人では大きく違うだろうし、子供の場合は、その差がたくさんあるだろうと。

たとえば、エスカレーターに乗るのが怖かったとしても、まずは、手を繋いでなら普通に乗れた。

手を繋ぐのは見知らぬ“おばちゃん”でも大丈夫なわけだ。

そうしているうちに、怖いものじゃないと分かってくるだろうし、時間がかかりそうなら、実際は繋いでないけど、手を繋ぐ素振りを入れて、言うなれば「エア手つなぎ」というのを挟んでもいいかもしれない。

そうしているうちに、ひとりで乗れるでしょうと。

いやいや、そんなことまで考えずとも、そのうち手を繋ぐのが恥ずかしくなったりするでしょうしね。

お父さん、子供がエスカレーターへ乗るときに、何か落としたのを気づいてなかったんじゃないかなと思う。

エスカレーターへ乗るのが怖いうえに、直前に持ち物を落としたとなると、子供としては少なからずパニくるだろなぁと。

お父さんの反応も分かるし、男の子の気持ちも分かる気がして、どちらが良い悪いではないけど、そこにたまたま嫁が仲介に入れて良かったのかなぁと思ったり。

そういえば以前には、下りエスカレーターで、おばあさんがモノを落として、それをおじいさんが拾ってあげようとしてコケる、ということがあり、降りるところで、私がおじいさんの腕を引き上げた、ということもあった。

それからというもの、エスカレーターの非常停止ボタンの場所とかも、確認したりするようになった。

何にせよ、事故とかがなくて、良かったということなんです。

皆で人助けをしましょう!!というようなアピールや宣言じゃないのだが、困っている人がいたら、恥ずかしがったり、躊躇するようなことなく、まったく自然に動ける人でありたいなと思うのである。

嫁と知らない男の子が、エスカレーターで2人並んで降りているのを、後ろから見ているのも、何ともほっこりする画だった。

スーパーミラクル食材 2022.07

勤め先の後輩と、なんの話をしていてそうなったのかは忘れたが、私がカイワレを育ててると話したら、豆苗は、買ったやつの根元を水につけておくと、また育つので、一度で二度おいしい、ということを聞いた。

そういうのは好きな方なので、その週末、さっそく豆苗を買ってきてみた。

豆苗が我が家の食卓にのるのは初めてじゃなかろうか。

さっそく買ってきたその日に、ネットに出てた、豆苗のふわ玉炒め、なるものを作り「なかなかイケるなぁ」なんて言いながら食した。

そして、今回の目的。

残った根元を器に入れ、水に浸してみている。

私「豆苗って、残った根元の部分を水につけといたら、もう一回食べらラルらしいねん」

嫁「へぇ〜そうなんや」

私「さっそくやってみてるねん」

嫁「どれどれ〜」

私「ちょうどいい大きさの器がなかったから2つに分けたわ」

嫁「えー!?昨日買ってきてもう食べれるんや!?」

私「買ってきたからな」

嫁「すごい!もう育ったんや!はや!!」

私「ん?」

嫁「ん?」

私「いや、今日食べる部分は切って調理に使って、残った根元を水につけてるんやで?」

嫁「あ〜!そういうことね!」

どうやら嫁は、昨日私が買ってきたのが、豆苗のタネだと思っていたようで、それが翌日に育って食べられるようになり、それを再度に浸けているのだと思ったようである。

それが現実であるとすれば、成長が画期的に早く、ビタミンやら、食物繊維やらが豊富だとか書かれていたので、まさに、スーパーミラクル食材である。

豆苗を主食にすれば、永久機関のようなものになるかもしれない。

嫁と話をしていると、夢は絶えないのであった。

海辺の家 2022.06

嫁「おはよ」

私「おはようさん」

嫁「なんか海にいる夢見たわぁ」

私「海か、ええなぁ」

嫁「なんか、家買ったんか借りたんか分からんけど住む感じで」

私「お〜ええがな」

嫁「砂浜に車停めててさ」

私「うちの車で浜辺は危険やで、砂から抜けれんようになりそう」

嫁「駐車場、借りなあかんなぁと思ってて」

私「ま、要るわなぁ」

嫁「ヨシがどっか行っててんけど、潮が満ちてきたらあかんってっなって」

私「ほぉ」

嫁「私が車、よいっしょ、よいしょって、海からちょっと離れたところに運んでん」

私「なんや、めちゃんこ力持ちやん」

嫁「目が覚めたとき『ん?車って持ち運べたっけ…?』って、しばらく考えてん」

私「考えんでも気づくんちゃう?」

嫁「寝ぼけてたから分からへんかってん…」

私「夢の中でも気づきそうなもんやけどなぁ」

嫁「うん…分からへんかってん…」