肉球

嫁はよく寝る。

車で出かけている時に、少し会話が途切れただけで、気がつけば寝ているということは常だ。

思い返せば、嫁のお父さんが「どこででも寝られるようには育てた」と、冗談交じりに言っていたが、嘘ではないようだ。

私は、血液型占いなどもおおよそ信じないタイプだが、いわゆる、O型の性格と言われている感じはあるのかもしれない。

「O型 性格」と検索してみると、O型女性は、下記のような性格とのことだ。(引用「TABI LABO」)

1.明るく社交的な性格
2.物怖じしない大らかな性格
3.裏表がない率直な性格
4.基本的に楽観的な性格
5.特定のこだわりを持つ性格
6.もともとリーダー気質がある
7.家族を大切に思い、親兄弟を大事にする
8.物の考え方がシンプルで明快
9.片づけや整理整頓が苦手
10.人の好みがはっきりしている
11.アネゴ肌で頼られる存在
12.みんなのムードメーカー

言われてみると、そんなイメージはあるかなぁなんて思う。

そうそう、ところで、よく寝るというのは、睡眠をよくとるのもそうだが、就寝ではない時間帯にでも、ソファーで寝ていたり、静かだなと思ったら隣の部屋の床に仰向けに寝ていたりする。

ときには、寝ようとしているまさにその瞬間に私が気づいたら聞いてみるのだが、

私 「こんな時間に仮眠したら夜に寝られんようになるで」

嫁 「それが私は大丈夫やねん」

とのこと。また、

私 「こんな時間に寝たら夜明け前に目覚めてまうやろ」

嫁 「いや~それはないねんな~」

ということだ。

ところで、ソファーや床でウトウトしているのを見ると、何かしたくなる。

そこでここ数年やっているのが、嫁の足の指のつまんだり、足の指のハラの部分をつんつんとつついたりする。

たまに気づいて「え…?なに…?」とか口を開いたり、寝返りをうって「むにゃ…」と言ったりするのを見て、クックック…と遊んだりする。

私 「あんた寝てるときは、肉球触り放題やからええわ」

嫁 「肉球…」

最近は「肉球」という呼び方に慣れて、何も反応しなくなっている。

嫁はよく寝る。

文化住宅での同棲2

結婚前の同棲時期に住んでいた文化住宅。

それこそ、壁が薄いとか云々というのは、当たり前だったはずだ。

しかも、私は、大学までずっと実家から通学していて、会社員になってからは会社の寮に入っていたため、一般の賃貸住宅に住むというのが、嫁との同棲が初めてだった。

会社の寮に入るだけでも、独り暮らしのワクワク感は大きかったのだが、それこそ、好きな人と一緒に暮らし始める、となるとそりゃテンションも上がるだろう。

当時は、嫁、私とも、よく友達と飲み歩いたもんだ。

嫁の友達と、私の友達で、男女10人ずつくらいのコンパを段取って、くっついたり離れたりしたカップルもいたっけ。

我々夫婦ともども、そんなにギャーギャー騒ぐタイプの遊び方はしない方だと思うが、それなりに夜も遅く帰宅したり、朝帰りしたりということはしょっちゅうあった。

ところで、住んでいた文化住宅の下の階の部屋には、朝の新聞配達の仕事をしているおじさんが住んでいた。

そのおじさん、スキンヘッドのサングラスというのがいつものファッションで、見た感じはいわゆるとてもコワイ人だ。

ある夜、いつものように飲み歩いて帰って、私の友達がひとり泊まりに来ていて、なんだかんだと世間話をしていた。

騒いでいるつもりはなかったんだが、やっぱり深夜の話声というのは響いてしまうのだろう。

外から 「何時やと思うとるんや!静かにせい!こっちは朝早いんや!ええ加減にせんかい!!」 といった怒鳴り声が聞こえてきた。

あちゃ…と思い、友達も嫁も私も、肩をすくめて黙った。

ちょっと出ていく勇気もなく、その晩はひそひそ話しつつ静かに過ごした。

翌朝、友達は帰り、家で嫁とうだうだしていると、「ブー♪」と呼び出し音が鳴る。

「もしもし、おはようさん!」

引き違いのガラス扉の向こうには、明らかに下の階に住む、昨日の深夜、怒鳴っていたおじさんの姿がある。

私は気が負けていて居留守にしようかと思いつつ、嫁の方へ向かって「出てみて…!」というジェスチャー。

嫁は「え~!」という顔をしつつも、玄関の方へ行き、扉をガラガラ~。

私は玄関から見えない隅の方へ引っ込み、様子を伺っていた。

おじさん 「昨夜は大声出して悪かったな」

嫁 「すみません」

おじさん 「ワシも田舎から出てきてなぁ」

嫁 「ええ」

おじさん 「そんな怒っとるわけやないが、朝が早い仕事やから寝られんときついしな」

嫁 「はい」

おじさん 「はいこれ。ほな」

嫁 「あ、ありがとうございます」 ガラガラ~

・ ・ ・

おじさんには女子が対応することで、多少なりとも牙をおさめてくれるかも、という私の狙いは的中したかもしれない。

いや、嘘だ。

私は出ていく勇気がなかったので嫁に行かせた、というのが正しい表現かもしれない。

嫁は、牛乳や菓子パンのはいったコンビニの袋を持って戻ってきた。

嫁 「牛乳とかくれた・・・」

直接、私たちの部屋に訪ねて来はったのはその一回だけだったと思うが、この一件の前後にも、

おじさん 「夜にうるさい!何とかならんのか!」

大家さん 「若い人らやから許したりぃな!」

という2人の大声の言い合いを聞きながら、部屋で肩をすくめていたことも何度か…。

そんなことがありながらも、1年近くそこに住んでいたのだから、楽しい方が勝っていたのだろうと思う。

若さだろうか。

おじさんには、ちゃんと謝ったのだったか。

今さらながらですが、すみませんでした。

文化住宅での同棲1

嫁と結婚したのは20世紀の暮れ、2000年だった。

高校時代で知り合ってからの交際は9年ほど続いたわけだが、その間には、離れたりしたこともあったが、なんだかんだで一緒になった。

嫁とは、結婚前にざっと1年ほど同棲をしていたことがある。

両親には「籍入れたら?」というようなことは言われたような記憶もあるが、別に、籍を入れないつもりもなく、単純に「一緒に住もう!」ということだけしか頭になかったと思う。

親からするとそりゃあ多少なりとも心配事はあるんだろうな。

同棲していたのは、総戸数8戸ほどで築40年くらいは経っていたであろう文化住宅で、なかなかの昭和感が出ていた建物だった。

ふたりで不動産屋を巡って部屋を探したのだが、家賃の上限とか決めていたのかどうか覚えていないが、不思議とお互いに、最新設備とかおしゃれなところ、という発想はなかったようで、古い文化住宅に落ち着いた。

玄関の引き戸をガラガラ~っと開けて、靴を脱いだらすぐに畳の居間に上がる感じ、おそらく、8畳が2部屋、板張りの台所があって、風呂とトイレ別、という間取りで、家賃33,000円にしては広かったこともそこに決めた理由のひとつだったろうと思う。

あと、たしか嫁がその部屋に入ったときに「おばあちゃんちみたい、広いしいい感じ」と言っていたような気がする。

駐車場も10,000円で借りていて私はかつての職場へは車で通勤していた。

嫁は電車でアルバイト先に向かっていたと思うが、最寄り駅までは徒歩20~25分の坂道で、嫁は結構大変だったろうなぁと思う・・・

家賃と駐車場代43,000円は、毎月、敷地内の大家のおばあさんの住んでいる家に行ってハンコを押してもらう、という感じだった。

そんな昭和な文化住宅で1年くらい暮らしたわけだが、その当時は、私も嫁もよく遊んでいた気がする。

どういうわけだったか、嫁の友達がうちに泊まりに来たりして、嫁が不在なのに、複数人の女性が私と一緒に寝ているという、話だけ聞くとアカンやろ・・・という状況もあったなぁと思い出す。

便利であること、裕福であることに越したことはないけれども、環境がどうであれ、なにかと楽しく暮らせるということは、とても大事なんだろうなと改めて思う。

順番を間違えたらアカンよなと。

そうそう、そんな感じで住んでいた文化住宅を思い出していたら、ふと、カラテカ矢部太郎さんの「大家さんと僕」を思い出した。

我々の当時の大家さんは、20年前で70歳を超えていたと思うのだが、今でもご健在だろうか、なんて思う。