無聴

全然珍しいことではないのだが、先日も嫁に無視された。

ふと思い出したのは、ある日の買い物帰りの車の中。

嫁は車の運転免許を持っていないので、運転は私。

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ちょっと話が逸れるが、嫁が車の運転免許を持っていないことについては、周りからは、意外だという印象があるようだ。

と言っても、別に、嫁が、走り屋、飛ばし屋みたいな感じに見えるわけではないみたいだが、学生の頃から海外へ独りで出て行ったりしていることを知っている友達などは、車なんかは普通に乗っているという印象があるようだ。

私としては、嫁が車の免許を持とうが持つまいが、お任せなのだが、かつては、持っていたら便利だろうなぁ、と思ったこともあった。

最近は私が、会社の同僚やその他の友達と外飲みするということが少なくなったので、そう思うこともなくなったが、終電を逃したときに、迎えに来てもらうことができるよなぁと。

タクシーだと、相当な金額がかかる・・・

かといって、運転できたとしても、2時や3時に酔っ払いの旦那から、「お~い♪お迎え頼んます~♪」とのん気な連絡を受けても、面倒くさい、鬱陶しいだけで、「そこらで寝とけ!」ってなもんかもしれない。

また、逆に、迎えに来てもらうのにこちらが心配にもなるよなぁ。

そういえばある時、終電逃し、しかも、寝過ごして終着駅まで行ってしまった際に、タクシーで家まで帰ったのだが、財布には持ち合わせがなかったので、玄関まで嫁にお金を持ってきてもらって、タクシーの運転手さんに渡したこともあった。

そのときのタクシーの運転手さんに「できた嫁はんや、大事にせな」と言われて「ですよね・・・」と、ちょっと照れくさかったような覚えも。

「もう・・・」という嫁の表情に、マジ怒りが見えないことが確認できると、安心して寝られる。

・ ・ ・

さて、買い物帰りの車の中。

私 「ホームセンター寄っていく?」

嫁 「・・・・・」

私 「ホームセンター用事ない?」

嫁 「・・・」

嫁 「あ、ごめん、聞こえてたけど無視してた! いや、いつものことか、うん、寄らなくていいよ」

ごめんと謝りをいれつつ、普通に私を無視をする彼女は、私に対してどういう感覚を持っているのだろうか。

いまふと思ったのだが、聞こえてたけど「無視」と言ってしまうと「視」は目で視ることになるので、本当は「無聴(むちょう)」か「無聞(むぶん・むもん)」と言うべきだろうな。

「聞こえてたけど無聞してた!」と。

なるほど、こういうことを言うから、無聴(むちょう)されるんやね・・・

「お~い♪お迎え頼んます~♪」と連絡を受けても、面倒くさい、鬱陶しいだけで「そこらで寝とけ!」ってなもんかもしれないが。

砂糖漬けレモン

我々夫婦は、ほぼ毎日、晩酌をしている。

だいたいが(第3の)ビールから始まり、そのままそれで通すこともあるが、昨年から今年のかけての冬は、焼酎お湯割り、日本酒の燗の比率が急激に上がった。

あと、いくら第3と言えども、ビールというのは結構コストがかかってしまうこともあって、ちょっと控えようか…という話もあがったときに、焼酎の導入案が出て、試してみる形だったのだが、思いのほか気に入った、というところか。

また、お互いにそれなりに、おっちゃんおばちゃんと言える年だからということもあるのか、ビールばっかり飲んでいるとお腹がパンパンになってしまう。

いろんなところで、何となくタイミングが合って、そうなったという感じ。

そうなると、夏にも変化が出てくるわけで、今年の夏は、ハイボールやサワーなどを飲む比率がグンと上がった。

こちらも、氷や炭酸水で割って飲むわけで、一杯あたりのコストは少々抑えられている(はず)。

ちょっとそれなりのものにして楽しむために、レモンを買ってきて、輪切りにして、砂糖漬けにして、冷凍をしている。

レモンサワー、ハイボールに、砂糖漬けレモン。

なんとなく店で飲んでるようで、ちょっと贅沢間が味わえるかなと。レモンサワー、ハイボールに、砂糖漬けレモンをぽん。

夏の飲み方が定着しつつあったころ、タッパーに入っているこの砂糖漬けレモンの減り方がやたらと早いことに気づいた。

嫁に聞いてみると、朝や昼にもちょくちょく、レモンそのものを食っているらしい。

そんなにレモン好きだったか?

だいたい、一週間でレモン2個では足りないペース。

結婚してからの食事に、レモンを使うことってほとんどなかったはずだが、ここへ来て、1週間に3個ペース。

1日あたり0.4個。

1年でおよそ156個のレモンを消費することになる!

う~む。

多いのか少ないのか分からない・・・

隠ぺい工作

だいぶん前の話だが、ふと思い出した。

うちの洗面台は、風呂に入るときの脱衣スペースの角に設置されている。

洗面台に向かって右がすぐ壁で、そこの備え付けたタオル掛けにかかっているタオルで水気を拭く。

確か、もともとタオル掛けがついていたのだが、一枚だけしか掛けられないものだったので、2人分かけられた方がいいよね、ということで、ホームセンターで買って来たものをネジで取りつけたのだったと思う。

そういう作業はだいたい私の役目なのだが、この部分はどういうわけか嫁が付け替えたのだった。

それもあってか、タオル掛けが付けられた壁には、19年前の新婚旅行へ行ったときに撮った、海の写真を引き伸ばしてプリントアウトした、A4の紙がビニールに入った状態で貼られている。

よそ様からすると、「奥様が初心を忘れないように当時の写真を飾られているのね!」と解釈される方がおられるかもしれないが、実際はそういうことではないのだ。

ある日、仕事から帰ると、タオル掛けが2人用に取り換えられていた。

私 「おー、タオル掛け付け替えしてくれたんや!よう出来たやん」

嫁 「うん。できてん」

私 「海の写真まで貼っておしゃれにして」

嫁 「うん。写真貼ってん」

そのときは、その話はそれで終わり。

そして、何日?何週間?どのくらい経ってからだったか覚えていないが、貼られている海の写真が少し剥がれそうになってきていたので、貼り直そうと思い裏側を見ると、その部分のクロスがベリベリに剥がれていたのである。

早速、嫁を呼びつけた。

私 「ここのクロスむちゃくちゃになってるやん、どないしたん?」

嫁 「うん・・・」

私 「もしかしてあれか? タオル掛け付け替えたときに剥がしてしもたんちゃうか?」

嫁 「うん」

私 「あ~あぁ」

嫁 「・・・」

私 「あ・・・!だからあのときなんか様子がおかしかったんか!」

嫁 「そう?」

私 「タオル掛け自分で付け替えたときに、いつもの感じやったら『見て見て~!』とか言いそうなもんやのに、テンションが低めやったから、なんやろなぁと思ったんや。そのときは深く考えんかったけど」

嫁 「なんか剥がれてん」

私 「隠ぺい工作やったわけや!(笑)」

だいぶん前のことだがふと思い出したので、どうしてあのとき、クロスを剥がしてしまったことを隠したのか聞いてみると、

「隠したんじゃなくて、聞かへんから言ってなかっただけ」 ということらしい。

少なくとも、新婚時代を忘れないように、という意図ではなかったのである。

ハイボール

月に1度くらいだろうか、嫁と外飲みをする。

10年くらい前までは、ほんとに外飲みが多く、少なくとも毎週末、かなりの頻度で平日も居酒屋へ行っていたので、だいたい週3回くらいは、外飲みしていたのではないだろうか。

そりゃ貯金なんか貯まりませんわな・・・

ここ10年くらいか、ほとんどが家飲みで、自炊のことが多い。

家飲みは、まわりに気をつかう必要がないし、眠たくなったらすぐ寝れるし、なにしろ、電車に乗ったりして帰らなくてもいい、さらに家計に優しいとなると、デメリットはあまり見当たらない。

家飲みに慣れていると、外飲みがちょっと特別な感じにもなって楽しめるというオマケも付いてくる。

つい先日は、久しぶりに外飲みをして、そのあとカラオケにも寄ったが、これもかなりのご無沙汰。

嫁は、椎名林檎、中森明菜、真心ブラザーズなど、私は、エレファントカシマシ、スピッツ、洋楽ちょろっとなど、2人とも久しぶりだったこと、何杯か飲んでからだったこともあり、30分もしないうちに声がカスカスになってしまったのだが、もともと音楽好きの2人でもあって、また行こね~と話しながら帰ってきた。

カラオケの前に行ったのは焼き鳥屋で、そこでは、嫁はビール×2杯、カクテル×1杯、私は、ビール×1杯、ハイボール×2杯を飲んだ、と思う。

私は、お替りのハイボールを飲んだときに、義父のことを思い出して少々うるっと来た。

嫁の家族は全員呑み助。 私の家族は、父と息子の私は飲むが、母は飲まない。

でも、どちらの家庭も、ビールのグラスが冷やされているとか、ビールをはじめ、焼酎、日本酒、ウイスキー、ブランデーなどが常備されている状況は同じであった。

嫁の実家へ里帰りしたときには、義父がかち割氷にウイスキーを注いでくれることも何度もあった。

無理に飲ませるというところではないが、飲ませる、一緒に飲むが好きなんだなぁというのが良く伝わってきた。

ハイボールを口にしたとき、ふとその情景がフラッシュバックして「おっと・・・」となった。

とっさに「これ飲んだらふと父思い出してもうたわ・・・」と言った。

嫁もそれを口にすると、嫁の目からぶわっと涙が溢れてきた。

嫁 「うわ~やばいやばい」

私 「すまん」

嫁 「ちがうちがう」

つい思っていることをそのまま口にしてしまったのだが、悪かったかなと思った。

味覚と言うのは、記憶と密接に結びついているなぁと思う。

考えて思い出すというのではなく、記憶がぶわぁ~と湧いてくる感じだ。

私の実父は、私が20代前半のときにこの世を去っているので、一緒にちゃんとお酒を一飲んだという記憶がほとんどない。

父親と飲むという空気を味わわせてくれたのが義父だった。

義母もお酒に強かったので、家族全員が飲むというのも楽しいなぁと思ったものだ。

・・・・・

実父母、義父母のことを想うときに、嫁と私のそれぞれで、少なからず感覚的な違いはあるかもしれないけれど、ふとしたことで、それぞれに対してぐっと来てしまうことがある。

記憶として残っているのは、いい思い出の方が断然多い。

これはとても幸せなこと、有難いことなのだなぁ改めてと思います。