蛇足

無駄なもの、余計なもの、という意味なんだと思っているが、蛇足という言葉がある。

私は、蛇足と聞いて思い浮かべる生き物は、まぁ、カナヘビとか、トカゲとかを連想するが、それでもちょっと、蛇に付くと言うくらいの足なんで、丈夫すぎるように思う。

妥当なところでウーパールーパーみたいな感じ?「ん?なんか付いてるぞ…」というくらいのイメージか。

そう、そういう感じの蛇の足なんやが、嫁と何か話をしているとき、たぶん私が「蛇足やなぁ」と言ったのだったと思うが、

私「蛇足やなぁ」

嫁「蛇に足つけたらムカデになる!」

私「えらいまたようけ」

嫁「そう?」

私「めちゃくちゃ『蛇足』やんか」

嫁「ヨシの話みたいや!」

私「俺そんな無駄な話してるんか」

嫁「あははは」

と、私の話における蛇足は、ムカデ・レベルということのようである。

幻想と現実

スタジオジブリの作品に、皆さんご存知のとおり?「天空の城ラピュタ」というのがある。

かなり昔に嫁と観たんじゃないかと思う。

物語の最後の方で、確か、男の子と女の子、どちらが主人公だったか覚えていないが、天空の城を守るために、2人で「破壊の呪文」を唱えるところらへんがクライマックスだったという印象がある。

女の子は「その言葉は言ってはいけない」「口にしてはいけない」と、おばあさんからよく言われていたという設定もあったんじゃないか。

そういう布石を置いているようなやりとりもあったもんで、観ながら「どっかで口にする必要に迫られる場面があるんやろう」という読みもあった気がする。

そこへ来て、さぁいよいよ唱えなければ…!というシーンで出た言葉。

「バルス!」

どっか〜ん!

・・・

私「呪文、短ない?」

嫁「簡単やね(笑)」

私「もっとこう『Φ⚪︎π△∃Γαρξ…‼︎』みたいなん想像してたわ」

嫁「間違って言うてしまいそう(笑)」

と、同じように思ったようだ。

「何度も訪ねてるのに行け『ば留守やし』」→ どっかーん!

「あの力士は、頑『張る相』撲とりやなぁ」 → どっかーん!

ちょっと無理がある感じもするが、あちこちで爆発が起きそうである。

そんな話をしてたかしてなかったか「バルス」というのは、何かを引き起こす単語だということは、お互いに記憶に残っている。

ある日の夜、買い物か何かで一緒に外を歩いていたときのこと。

夕涼みみたいな感じで気持ち良い気候だった気がするが、ふと見上げると、マンションの灯りか、お月さんだったか、綺麗な風景に思う場所があったようで、

嫁「なんか幻想的〜♪」

と立ち止まって見上げていた。

ところがそのちょっと前から、私はと言えば「大」の方をもよおして来ており、とにかく早くトイレのあるところへ…という感じだった。

嫁が「幻想的」な風景を見ているときには、すでに「最悪は側溝もある…!」というくらいの状態だったのだ。

もうダメだと思い「ちょっと急ぐ…!」と、なんとか公共のトイレを見つけ難を逃れた。

危機一髪で助かったあと、

私「あ〜危なかった」

嫁「そんな感じやったんや!(笑)」

私「あんたが『幻想的〜♪』言うてるとき、ワシはめちゃくちゃ現実的な問題を抱えとったんや…」

嫁「あははは」

兎にも角にも、幻想的なことと現実的なことは、同時に起こり得るということを体験したのであった。

そして今日、始業前の朝の職場で空を見ると、太陽の周りに光の輪っかが出来ていて、ちょっと虹みたいに見えたので、写真を撮って、嫁にLINEで送った。

すると、しばらくして「幻想的〜」と返ってきた。

すると、どういうわけか、トイレに行きたくなってきてるような感じがしてきたのである。

我々にとって、というか、私にとって「幻想的」という言葉は「『大』の呪文」と言えるのかもしれない。

考えようによってはこれは便利な呪文で、お通じが悪いときには、積極的に使えるものだとも言える。

ただ、私は、便秘という経験がないので、やっぱり便利ではないかもしれない。

・・・

いや、私は今、いったい何の話をしているのだろうか。

こういうことが、幻想と現実な感じが気がするように思えなくもないのかどうか?

という、人生の問いであるという話があるのかどうか。

幸せなんやろうね。

おじいさんとおばあさん

嫁が最近、日本史にハマっているようである。

漫画はもともと好きやったが、先日その映画を観た「ちはやふる」も百人一首なんで、歴史とは少なからず関係あり、とも言える。

そう言えば、出会いの高校でも、世界史が面白いと言っていた記憶もあるし、もともと、歴史の話には惹かれるところもあるのかもしれない。

そこは、私も分かる感じがある。

確かに、比較的近い過去の場合は、いろいろと反省が出てきたりするんで、人と話し合うには、考え方の違いとかも相まって難しいところが出てきがちだ。

例えば昭和とか、平成とか。

社会問題の話になるしね…。

でも、何百年前とかのスケールになると、創作物を見ている、読んでいる、という感じで、より客観的に捉えられる感じがする。

そうそう、ややこしい話は置いておいて、嫁が益々、歴史に詳しくなっていっているのは事実。

何で得た知識が分からんが、いろいろと教えてくれる話の中には、かつて私も、小学校や中学校で聞いたことのある人物の名前が出てくる。

ちょっと前は、徳川の話が結構多かった気がするが、最近は、持統天皇とかも出てきて、それこそ、30年か40年ぶりに聞く名前もある。

小野妹子や蘇我入鹿、それぞれの兄弟の名前も出てくるが、それは聞いた覚えがなかったり…。

嫁はいったい、どこへ向かって進んでいるのか分からんが、いろいろと教えてもらいつつ、知らんことを知れるのは面白いと思う。

片や私と言えば、例えば、おばあちゃんのぽたぽた焼きの袋に書いている「おばあちゃんの知恵袋」みたいなのが好きで、自分が使うものを、無駄なく使う!みたいなことに関心ある。

このまま行くと、嫁はどんどんおじいさんになり、私はどんどんおばあさんになって行き、私たちは、これから先、どうなって行くんだろうと、少々心配でもあり、楽しみでもあるのだ。

桃太郎で例えれば、おじいさんは川へ洗濯へ、おばあさんは山へ芝刈りに、という昔話があってもええやんねぇ。

ただ、年齢がいくと、どちらもキツめの仕事になるので、もうワンステップの知恵が要りますかな^^;

ちはやふる

「ちはやふる」の映画を観た。

漫画好きの嫁からその作品のことは聞いていたんだが、ちょっと前に「映画化されてるやつ借りようと思うねんけど一緒に観ぃひん?」と。

どんな映画でも、観た後になんやかんやと感想を言い合うのは好きなんで、楽しみにしていた。

話によると、まだ漫画の方も完結していないらしく、映画の方はどうやってまとめるんやろうということも感心の1つの模様。

DVDが届いた。

上の句、下の句、結び、と3部作。

結論から言うと、なかなか面白かった。

だいたい、漫画や小説なんかの原作を映画化した作品って、しょうもなくなることがほとんどの印象があるが、これはなかなか出来がいいんでないかと。

嫁も良かったとは言っていたが、さすがに漫画の方は時間制限がないので、描写がより丁寧というか、たくさんのことを描けるので「あのシーンがなかったな〜」「あそこは大事なんやけどな〜」と、思うところはいろいろあるようだ。

でも、概して、嫁としても映画化には成功しているという感想なんじゃないかと、肯定的な感想だったように思う。

晩酌しながら観たわけだが、思わず涙してしまったシーンがいくつかあった。

ふと嫁を見ると、嫁も涙。

結構、映画を観ながらハマるところが近い感じは以前からある気がする。

私は、上の句では、作中の「机くん」。

書くとネタバレみたいになるのでやめとこうと思うが。

嫁曰く「ちはやふる」の女性読者の中では、綿谷新(わたやあらた)派と真島太一(ましまたいち)派があるそうな。

嫁は、どちらかというと、新(あらた)派だと言っていたか。

私は何派なんだろうね。