幻想と現実

スタジオジブリの作品に、皆さんご存知のとおり?「天空の城ラピュタ」というのがある。

かなり昔に嫁と観たんじゃないかと思う。

物語の最後の方で、確か、男の子と女の子、どちらが主人公だったか覚えていないが、天空の城を守るために、2人で「破壊の呪文」を唱えるところらへんがクライマックスだったという印象がある。

女の子は「その言葉は言ってはいけない」「口にしてはいけない」と、おばあさんからよく言われていたという設定もあったんじゃないか。

そういう布石を置いているようなやりとりもあったもんで、観ながら「どっかで口にする必要に迫られる場面があるんやろう」という読みもあった気がする。

そこへ来て、さぁいよいよ唱えなければ…!というシーンで出た言葉。

「バルス!」

どっか〜ん!

・・・

私「呪文、短ない?」

嫁「簡単やね(笑)」

私「もっとこう『Φ⚪︎π△∃Γαρξ…‼︎』みたいなん想像してたわ」

嫁「間違って言うてしまいそう(笑)」

と、同じように思ったようだ。

「何度も訪ねてるのに行け『ば留守やし』」→ どっかーん!

「あの力士は、頑『張る相』撲とりやなぁ」 → どっかーん!

ちょっと無理がある感じもするが、あちこちで爆発が起きそうである。

そんな話をしてたかしてなかったか「バルス」というのは、何かを引き起こす単語だということは、お互いに記憶に残っている。

ある日の夜、買い物か何かで一緒に外を歩いていたときのこと。

夕涼みみたいな感じで気持ち良い気候だった気がするが、ふと見上げると、マンションの灯りか、お月さんだったか、綺麗な風景に思う場所があったようで、

嫁「なんか幻想的〜♪」

と立ち止まって見上げていた。

ところがそのちょっと前から、私はと言えば「大」の方をもよおして来ており、とにかく早くトイレのあるところへ…という感じだった。

嫁が「幻想的」な風景を見ているときには、すでに「最悪は側溝もある…!」というくらいの状態だったのだ。

もうダメだと思い「ちょっと急ぐ…!」と、なんとか公共のトイレを見つけ難を逃れた。

危機一髪で助かったあと、

私「あ〜危なかった」

嫁「そんな感じやったんや!(笑)」

私「あんたが『幻想的〜♪』言うてるとき、ワシはめちゃくちゃ現実的な問題を抱えとったんや…」

嫁「あははは」

兎にも角にも、幻想的なことと現実的なことは、同時に起こり得るということを体験したのであった。

そして今日、始業前の朝の職場で空を見ると、太陽の周りに光の輪っかが出来ていて、ちょっと虹みたいに見えたので、写真を撮って、嫁にLINEで送った。

すると、しばらくして「幻想的〜」と返ってきた。

すると、どういうわけか、トイレに行きたくなってきてるような感じがしてきたのである。

我々にとって、というか、私にとって「幻想的」という言葉は「『大』の呪文」と言えるのかもしれない。

考えようによってはこれは便利な呪文で、お通じが悪いときには、積極的に使えるものだとも言える。

ただ、私は、便秘という経験がないので、やっぱり便利ではないかもしれない。

・・・

いや、私は今、いったい何の話をしているのだろうか。

こういうことが、幻想と現実な感じが気がするように思えなくもないのかどうか?

という、人生の問いであるという話があるのかどうか。

幸せなんやろうね。