巡礼 2021.05

巡礼と称して、散歩に出かけることがある。

とくに目的はなく、ただ歩こか、というだけだ。

かれこれ、10年くらい前からだろうか、ときどきやっている。

一時期は、しょっちゅうしていた気がするが、ここしばらくはご無沙汰だった。

で、先日のとある晩、ふと私の方から「巡礼行かん?」と言った。

とっさには若干面倒くさそうな感じの素振りだったが、ちょっと考えてから「あ、行こ行こ!焼肉屋さんで野菜食べとかな!みたいな感じやな!」と、きっと私にしか分からないようなことをのたまったので、出かけることにした。

別に、このご時世だからというわけでもないが、日頃も運動不足なところもあるし、歩くのは悪いことではないわね。

ほな行こかと、まだちょっと晩は肌寒さを感じるので上着を着て。

玄関を出て、ほな駅の方へ向けて行こか、と歩き始める。

しばらく無言で。

そしてふと横を見ると、当然のことながら嫁が歩いている。

ふ〜む、いい感じよなぁ、と想う。

有名なフレーズを借りると「幸せだなぁ」というのに近いか。

そして、そういえばこの感じ、車の時もそうやなぁと想う。

横を見ると、助手席に座ってちょっと眩しそうに前を向いている嫁を見るときと同じ感じだ。

嫁は、どんな気持ちでいま歩いているのか、はたまた、どんな気持ちで車の助手席にいつも座っているのか。

何度か聞いたことがあったと思うが、こんな返事はもらったことがある。

「あ!家計のこと考えてた」

「え?百人一首のこと考えてた」

「ん?何も考えてない。無(む)」

ちなみに、

家計のことは完全に嫁に任せていて、たぶん離婚されたら、あらゆる支払いが出来ないと思う。

また、嫁は漫画が好きで、ホンマにいろんなジャンルを読んでいるようだが「ちはやふる」もなかなか面白いらしく、その流れで百人一首のことを考えていたのだろうと思う、

最後が「無(む)」。

何かとオモロイなぁ、すごいなぁ、と思うところのある嫁だが、いよいよ悟りを開きつつあるのかもしれない。

ま、なんやかんや書いてますが、巡礼というか、たまには、夫婦で、あるいは、子供らとか親とか含めても家族で、用事もなくとも少し一緒に歩く、というのは、わたし的には、ありよりのあり、ではないかと思うのです。