微妙なずれ

私は晩酌を楽しむために、アテをつくることが結構多い。

というか、飲みながら作るのが好きで、とくに勤め先が休みのときなんかは、たぶん私の頭の近くに「ふんふんふん♪」と鼻歌の吹き出しが出ているんではないかという感じで、まずはビールをぷしゅーっと開けて飲みつつ、調理にとりかかる。

作るは、いわゆるお酒を飲む人の定番メニューから、かつて、かなりの頻度で居酒屋に通っていた時期があり、そのとき食べたことのあるものの記憶をたどって作るなど。

最近は、ネットで酒がおいしく飲めそうな料理のレシピを調べてみたり、本屋でつまみ本を買ったりして、アテのレパートリーを増やそうとしている。

ちょっと前までは、私が何も考えずに作っていると、和風寄りの味付けが多くなる傾向があったように思う。

あるとき、いつものように、粉末だしと醤油で豚肉と野菜を炒めようとしていたが、ふと、ちょっと変えてみようと思い、台所にブイヨンがあるのを見つけ、ネットで調べてみると、ブイヨン炒めなる料理のレシピを見つけた。

へー、じゃあ今日はこれにしてみるか、ということでブイヨン炒めをつくる。

冷凍枝豆を解凍し、大根おろしにしらすのせて、シーチキンにチーズのせてチン、などといった具合で。

改めて、乾杯。

 私 「今日の炒めもん味いつもと違わんか?」

 嫁 「ん?」

   (もぐもぐもぐ)

 嫁 「柔らかい~!」

「わしは『味』を聞いとるんや」と突っ込みそうになる。

お笑いIQの高い嫁のことだから、突っ込めるかどうかボケて試しているのかもしれない・・・

 私 「うまい?」

 嫁 「あつい!」

※ 私は味を聞いている ⇔ 嫁は温度を答えている

夫婦というのは、近くにいても微妙に遠いのかも知れない。

ちょっとしたパラレル・ワールドである。

お笑い

嫁は昔からお笑いが好きだ。

お笑いのテレビ番組をチェックしていたり、ときどきライブやイベントなんかにも出かけたりしている。

私もそれに影響されて、晩酌しながら録画を見たり、ライブに一緒に出かけたりするようになった。

そうしていると、自分なりのお笑いの好みが見えてきたり、芸人さんコンビのお互いの関係性が垣間見れるようなときもあって、それもまた面白い。

嫁と私は、大まかには笑いのツボは重なっていると思うのだが、違っているところもあって、それはそれで、嫁に対する新しい発見にも繋がることにもなって興味深い。

嫁はお笑いについて、かなり精通している方だと私は思う。 芸人さんについての知識が豊富という意味ではなく、自分の好きな笑いを取捨選択していて、自分の中で、いろんな笑いのカテゴリーがあるのでないかと見える。

まだ売れていない芸人さん、ブレイクしている芸人さん、いずれに対しても、今やっているネタを見つつも、その出どころというか、内在している力の有無までを、感覚的に捉えているのではないだろうか。

だから、今は売れていない芸人さんを見ても「このコンビそろそろ出てくると思う…」と、独り言のようにつぶやくことがあり、しばらくして、その人たちをテレビでよく見かけるようになった、ということは珍しくない。

ノストラダムスならぬ、嫁トラダムスの大予言は結構当たる。

審査員とか評論家には向かないタイプだと思うが、お笑いのスカウトマンとしては、なかなか優秀なのではないかと思う。

嫁のお笑い好きがホンモノだと思うのは、嫁自身にはそんなにウケていないときで、私が爆笑していたら、それを見て嬉しそう、楽しそうにするところだ。

一緒にお笑い番組を見ているときなどは、私がどういうところで笑っているかと、本人も無意識のうちに分析しているような感じもあり「ほぉ、こういうところで笑うんだな」とチェックされている気分になるときさえある。

本人に聞いたら「なにそれ?そう?」というだろうけれど。

問題発言

よくニュースなどで、有名人が言ったことを、問題発言だということで、大きく取り上げているのを見聞きする。

確かにテレビとかなら、番組によっては相応しくないかもしれない場合があるとは思うけれども、ここ最近は、言葉狩りというか、加熱し過ぎているんじゃないかと思うこともある。

発言した人がどういう意図でそう言ったのかもあるし、聞く側も、人によって捉え方が違うので、何とも難儀なテーマだなと。

ただ単に、言葉だけを取り上げて、文脈や背景、そう言うに至った経緯などを取り除いてしまうと、本題とは別の問題を新しく作ってしまうことがあるようにも思う。

さて、先日、繁華街へ繰り出して歩道橋を歩いていたとき、その先の高層マンションが新築分譲されていて、モデルルーム案内の看板広告が大々的に出されていた。

それを見た嫁は

「こんなとこ住みたないわー!」

と比較的大きな声で言い放った。

私はとっさに笑いつつ

「いま、あんたの周りで歩いてる人、モデルルーム見にいく人、きっとおるで」と。

嫁はパッと口に手を当て

「だって、忘れもんしたとき取りに帰るの大変やん…」

と小声でその理由を告げる。

マンションの営業マンがいたら、営業妨害だと言われるところだったかもしれない。

またあるとき、嫁が友達に会いに行くにあたってお土産を持って行くということで買い物に付き合っていた。

ちょうどそのとき神戸にいたということもあり、神戸土産の定番のひとつ、ゴーフルなんか無難かもね、という話になった。

いろんなセットがある中、ショーウィンドウを2人で見ながら、嫁が選んだのは、ミニサイズのゴーフル詰め合わせ。

スタンダードなのは、お好み焼きくらい?人の顔くらい?の大きさのものなので、それの方が面白くていいんじゃない?と私が言うと嫁は、

「普通サイズのやつ食べてたら飽きてくるやろ!」

と比較的大声で言い放った。

私は吹き出しそうになりながらも、嫁に向かって子供に「メッ!」と言うような顔をしたものだから、嫁はハッとした感じで口に手を当てた。

いちおう私は、何人かいる店員さんの方を見やって、聞こえていたかどうかを確かめてみたが、とくにムッとしたような感じの店員さんも見当たらず。

結局ミニサイズのゴーフルを買ってその場を離れた。

ちゃんと思い出せば、こう言ったことはもっとたくさんあるだろうと思うし、これから先もきっとあるはずだ。

嫁なら王様に「どうして裸なの?」と聞くんだろうなと思う。

有名人の言動も、率直なもの、悪意のないものであれば、そんなに叩かなくてもいいように思えたりする。

テレビ画面の下に「あくまでも個人の見解です」とか出ていたりするのを見かけると、嫁には、それを書いたゼッケンみたいなものをつけておいたら、余計な誤解を招かなくていいんじゃないかと思う。

隠された才能

人にはそれぞれ、習慣や癖といったものが少なからずあると思う。

話をしているときに鼻を触るとか髪を触るとか、くしゃみの後に「オラァ〜ッ!」と言うとか、ペンを持ったら回してしまうとか。

無意識のうちにやっている行動は少なくないはずだし、人に言われて「そんなしょっちゅうやってる?」と思ってしまうものもあるはず。

また、座っていて足を組むときにどちらの足を上にするかとか、歩き出すときどちらの足から出すかとか・・・

やってることは認識できても「いつもどうしてるっけ?」みたいなこともあるものだ。

だからどうということはないのだが、先日、嫁から聞かれたことがある。

あなたには「集めてしまうもの」とか「捨てられないもの」があるか?と。

ささっと考えたものの思い浮かばないので「そんなんないで」と答えた。

それを聞いて「ふふっ」と笑う嫁をよそに、いちおう一生懸命に考えてみた。

すると、そう言えば、組み立て家具を買ったりしたときに、余ったネジなどを捨てずに取っておくクセがあるかなぁ、工具箱のところに結構たまってるなぁ、とは言え、ネジが好きかと言われるとそうでもないよなぁとか思いつつ、

「ネジ」

と答えた。

すると嫁は、

「ネジ? うーん、ネジかぁ…」

と、どうもしっくり来ていない様子である。

そのあとは何も思いつかず、改めて、

「やっぱりないわ」

しばらくお互いのそれぞれの時間が過ぎたあとに嫁はこう言った。

「集めてしまうもの、捨てられないものには、その人の才能と関連のあることが隠されているらしいよ」

それが本当だとすると、私には才能と呼べるものがないのか、あるいは、ネジに極めて薄っすらと関連のある何かに才能があるのかどうか、ということである。

嫁は、私がわりと素早く「そんなもんない」と答えたときに、思わず吹いてしまっていたのだ。

私に何の才能もないことが判明してしまったことは、とても残念なことだ。

だがそれ以上に、自分の旦那に何の才能もないことを知って思わず笑ってしまう嫁というのは、なんともポジティブな人物だなと思うのである。