我々夫婦には、少しずつ、Kポイントが貯まっていっている、と思っている。
「Kポイント」と検索エンジンで調べてみると、ゲームか何かのポイントでそういうのがあるようでヒットしたんだが、うちで言うのはそれじゃない。
どういうときにうちで言うところのKポイントが貯まるかというと、たとえば、落ちているゴミを拾ってゴミ箱に捨てた、とか、バスや電車で高齢の方に席を譲った、など。
Kというのは、神さまのこととなっている。
たぶん、たまたま私がゴミを拾ったことがあったとき、
嫁 「あ、ちゃりーん♪」
私 「なんや」
嫁 「Kポイントが貯まった」
私 「Kポイント…」
嫁 「そう」
私 「K…」
嫁 「神さまポイント」
善行?をすると貯まる?神さまからもらえるポイントと言えそうだ。
もしかすると、神さまに願い事をするときなどには、そのポイントが使えるのではないか。
あるいは、神さまのポイントなだけに、貯めたポイントを使うタイミングは自分で決めることができないのか。
あるとき「嬉しい〜♪」とか「やったー!」と思ったことが起こったなら、ポイントがあったから、ということなのかもしれない。
私にとって、Kポイントという存在が明らかになった?ので、それは貯まってる方が良さそうやなと、最近では「Kポイント貯めよう」と言いつつ拾うことも多くなった。
はじめの頃は、そう言いながらの行動だと、付与されるポイントが目減りしそうな感じもしたものだが、実際のところはどうなんやろう。
創始者に聞かないと分からないが、聞いても「あー分からへん」と言われそうだ。
そう、むしろ「Kポイント貯めよう」と言いながらの方が普通になっている。
ただ、不思議なことに、Kポイント付与という、自分のメリットのためにゴミを拾っている、と考える方が、自然にゴミを拾うことができる感じかするのだ。
もちろん普通に、道に落ちているゴミが気になって拾う人もあるでしょうけど、私は、見て見ぬ振りもすることが多いし、ふと、せっかく拾おうと思ったとしても、どこか偽善っぽいなぁと思ってしまったりして躊躇するようなところがある。
私のような人には、善行をするのはKポイントを貯めるためだ、と考えると、比較的自然に、そういう行動を取りやすくなる気がする。
嫁の発想もなかなかおもろいもんだなぁと思ったのである。
Kポイント・カードというのがないので、いくつ貯まったか、いつ使ったか、といったことが確認できないのだが、あると思う人にはある、というわけだな。