偉人伝

嫁ブログ、と言う名前で書いているが、結局のところ、私が私のことを書いているに過ぎないのかもしれんなぁと思った。

タイトルは嫁プログだけど、書き手の私の目から見た嫁のことを書いているので、嫁それ自身のことをちゃんと表現できているわけではないのだろうと思う。

よく偉人さんの本などがあって、私もちょくちょく読んで、感銘を受けたりするが、それも、著者がそういうふうにその人を見ている、ということに過ぎないんだもんなぁ。

つまるところ、それを読んだとき、見たとき、その解釈を知ったときに、受け手が「あ…!」と何かを感じたときに、良かれ悪しかれ、変化があるんやろうなぁと。

・・・

面倒なことになりそうなので、私の嫁ブログに話を戻しましょう。

このブログでは、嫁のことを、正しくは表現できていないかもしれないけど、私が嫁をそういうふうに見ているんだ、ということは、確かなことなんだなぁと思うわけで。

なにせ、嘘は書いてないから。

ときどき嫁に見せて「そんなことあったっけー」と言われることはあるが、そんなことがあったから、そして、それが印象に残ったから、わざわざ後からメモってるんですわ。

それに、嫁ブログのカケラをたまに嫁に見せると「あははは、あたしオモロイこと言うてるなぁ」と言う嫁を見ると、私は私で、まぁこんな感じで書いとかいなぁと、励みというほど大げさではなく、なんだか続くようだ。

ここまで書いて読み返してみたが、まるで私の書いてるコレを「偉人伝」と同列にしているところに、嫁オタクさが出ているのかもしれない。

いや違うねぇ。

偉人伝として取り上げられている人も、偉人かどうかは、自分が判断することやからねぇ。

私の場合は、嫁を偉人と考えているわけではないが、私にとって重要人物であることは、まぁ間違いなさそうだ。

なんの話やったっけね…

「幸せだなぁ」

加山雄三さんの「君といつまでも」という曲の間奏で「幸せだなぁ」というセリフがある。

そのセリフ、よく耳にした記憶があるものの、調べてみると1965年のリリースということで、現在40代半ばの私は、リアルタイムでは聞いていないはずだ。

親のカセットテープ、レコードなどにもなかったはずで、にも関わらず、何となく馴染みがある気がするのは不思議なもんだ。

ところで、

「幸せだなぁ…」

そう思うことがあるというのは、まさに幸せなことだよなぁと思う。

なぜかそういうのって、私の場合、些細なことでふと感じることがある気がする。

サプライズな嬉しさや、でっかい喜びというのも当然幸せだが、そういうときは「やったー!」とか「嬉しいー!」と勢いのある幸せ感だろう。

若大将の「幸せだなぁ」のセリフは、私には、ふと感じる幸せ、というイメージとリンクしているようだ。

例えば。

嫁の出先に車で迎えに行ったとき、待ち合わせ場所に着くと、嫁の、丸く、白い顔が、ダウンの上にちょこんと乗っかっているのを見たとき。

とか。

待ち合わせ場所に車で向かい、待っている時に「どっから来るかな?」とまっていると、向こうの方から、嫁の、丸く、白い顔が、ダウンの上にちょこんと乗っかった感じで、トコトコ歩いてくるのを見たとき。

「幸せだなぁ」

結構なことですよ、ほんまに。

別に待ち合わせフェチなわけじゃないんやが、いま思いついた場面がそれなだけで、言い出すと結構あるわけで。

あぁ、そう言えばいつだったか「幸せだなぁ」の話をしたとき、「若大将」のことを間違って「青大将」と言ってしまったことがあった。

蛇の種類でそういうのがいるのだが、気付いて笑った私をよそに、嫁は「若大将やろ?」と冷静に突っ込んでいた気がする。

ヘビの種類やと知らんかったらそうなるか。

冷たい視線ではなかったので、傷つきはしなかったが「ありゃ?」と思ったなぁと思い出した。