嫁は丑年、私は寅年。
ひとつ上の姉さん女房ということになる。
「年上の嫁さんは金のわらじを履いてでも探せ」という、諺?言い伝え?もある。
一般には「ひとつ上の」というのが主流となっているようなので、うちの嫁はまさに、これに該当するわけだ。
もちろん今の時代、わらじを履いて生活している人はほとんど見かけないし、私も、靴を履いているわけで、まして、金のわらじを履いて嫁さんと結婚するに至ったわけではない。
この諺に、どういう深い意味があるのかないのかよく調べてもいないが、全体的に、私の場合は、嫁さんと結婚して良かったなぁと思っている。
どういうところが?と聞かれても、はいこれ!と具体的に分かりやすい例を挙げにくいのだが、なんやかんやありながらも、うまいこといってるんじゃないか、という感じだ。
嫁も私も、昔よりはいくらかお互いに合わせる感じも出てきたかもしれないが、なんとなく、嫁が私に合わせてくれているような気がすることがある。
そして、ホントにそれでいいのかなぁと思ったりすることもある。
結婚したとしても、嫁の人生、私の人生であって、束縛や強制は、あるべきじゃないと思う。
一緒にいるということで、お互いが納得できるところ、落とし所を見つけようとしていくことになるんだろうか。
ただ、落とし所と言っても、妥協のようなものだと良くない気がする。
そうだなぁ、お互いの人生を合わせて、1人では成せなかった、新しい人生を作っていく、と言った方がいい感じかな。
川の小さな支流が、それぞれ紆余曲折くねくねしながら、合わさって本流となって一緒に流れていくような、そんな感じか。
嫁は、自分の人生を、そして、私と合わせた2人の人生をどう考えて、思って、感じているんだろうな。
金のわらじは履いていなかったけれども、出会って結婚して良かったと、私は思っている。
だからこそ、嫁にももっと幸せになって欲しい…なんて、月並みな表現だが、そういう思う。
さぁ、そして…
たまぁに、そんなことも思ったりするわけです。