とくに用事のない電話

急に嫁の声が聴きたくなることがある。

自分が凹んでいるときや、何となくつらいときとかだろうか。

私 「もしもし」

嫁 「もしもし、どーしたん?」

私 「いや、ちょっと声聞きたいなと思うて」

嫁 「ふふふ」

私 「ん?外か?」

嫁 「うん、タリーズ」

私 「ありゃ、話しててええのんか」

嫁 「うん、大丈夫」

(小声なのに気づき)

私 「空いてるんか?」

嫁 「うん、そうでもない…」

私 「あぁ、すまんすまん」

嫁 「いいよ」

私 「ほんじゃまたな」

嫁 「うん、ごめんごめん」

・・・

とかいうのが今日の電話。

私は基本的に、甘えん坊というか、心の中に弱い部分があるように思う。

そりゃ誰しも、どこかにそういう部分は持っていると思うのだが、私はよく、何とも切なくなる時があって、用事はないけど、そんな電話をしたりすることがある。

そういうのを、嫁がどう捉えてるんか分からんのやが、邪険に扱うことはまぁなくて、特別気遣ってる風でもなくて、ごく普通に、いつも通りの嫁として応対してくれる。

ありがとさん。

ジェニーハイのライブ 2019年2月

年明けの話やが、先日、嫁発信で初回のフルアルバムを買ったジェニーハイというバンドのライブがあり、抽選でチケットをゲットできるとのことだった。

過去の記事「ジェニーハイ

嫁が段取って、抽選に応募していたのだが、なんと、ペアチケットが当選したようなのだ。

CDを買ってからというもの、私自身も気に入り、通勤で車で聞いたりしていて、かなりお気に入りの1枚になっていたところに朗報である。

嫁 「ジェニーハイのライブ、抽選らしいから応募してええかな?」

私 「おー、行きたい行きたい」

と会話していた。

で、抽選の発表日前にはLINEで、

私 「当たったやろ?」

嫁 「15時に発表(^_^)」

私 「もう当選したようなもんや」

とやり取りをしていた。

私の性格上、期待していたことがダメになったということのショックが辛すぎて、控えめに控えめに思おうとするところがある。

「ま、当たったらラッキーや」
「そんなんなかなか当たらんもんや」
「いろいろ忙しいし当たらんでもそれはそれや」

などと、外れたときの残念さをなんとか軽くしようと、あれこれ考える。

そういう考え方がアカンのじゃないか、と、ふと思ったこともあって、今回は、発表までのワクワク感、それ自体を楽しもうということにして、意識的に嫁とそんなやり取りをしたのだ。

するとどうだ、当選ではないか。

なるほど、こうやって当たる人は当たるのかもしれないぞ?

だったら、あらゆることにその考えを適用してみるべきではないか。

近々では、プリマハムのウインナーのバーコードを集めて応募する懸賞。

テーマパークの招待券か、プリマハムの商品詰め合わせかを選べるやつ。

テーマパークの方がバーコード4枚、詰め合わせは2枚。

前者の方が格上のようだが、テーマパークは混みそうで嫌なんで後者へ応募する段取りを進めている。

これも当たったようなもんなんだ。

そして、先日購入した年末ジャンボ。

これも、当たったようなもんなんだよなぁ。

いやいや、ほんまちゃんと使い道を考えておかないといけませんよ!ってな。

話戻して、ジェニーハイのライブ、楽しみだ。

1階スタンディング、2階指定席らしいのだが「立ってるのしんどいかなぁと思って…」と、2階指定席で応募していたとのこと。

私もその方がいいと思う。

お互い、おっちゃん&おばちゃんである。

いや、飛び回らんでええので、聴きに行きたいなぁと思う。

久しぶりの外飲み

夕べは職場から帰って来つつ嫁にLINE。

「外飲みとかどう?」

しばらくして、

「いいね!私はロイヤルホストでレモンサワー飲んでる!」

との返信。

すでに飲んどるんかい!てなもんだ。

そもそも、ロイヤルホストにレモンサワーってあったんやなぁと、

で、店はどこでもええよ〜ということだったんで、たまに行く焼き鳥屋さんで待ち合わせることに。

その店は、うちから歩いて5分くらいの近所にあるのだが、徒歩圏内というのは、なんといっても帰るのが楽でよろし。

最近は家飲みがほとんどで、外飲みは数ヶ月にいっぺんあるかないかくらいかと思う。

お互いな呑助なものだから、どちらかから声がかかると、ふらっ…と居酒屋さんへ気持ちが持っていかれる感じがある。

今、私はわりと節約へ向いているところがあって外飲みは控える感じなのだが、久々だった。

嫁も楽しく飲めたんだったらええなと。

「また誘ってな〜」と言っていたので、お互い、久しぶりの外飲み、満喫できたということで。

ごま豆乳なべ 2019年12月

冬と言えば鍋だ!…とまでは言わんが、寒くなってくると、ウチは、しょっちゅう鍋をやる。

とりあえず冷蔵庫にあるものをドカッと入れて煮込んだら、それなりに美味いし、なんと言っても楽チン。

具材だけで量が足りんようなら、うどんやラーメン、冷凍ご飯などをポイっと放り込めば、これまた美味しく満腹になれる。

シメを投入する前にすでにお腹いっぱいになった場合は、残った汁は翌日に持ち越し、本来は鍋のシメを翌日の食事に当てる。

いやはや、鍋という料理は、経済的にも環境的にも、エコだなぁ…と思う。

先日は、市販のごま豆乳の出汁で鍋をやった。

白菜やら豚肉やらドカドカ入れながら、調味料棚に、白ごまの小袋に少しだけ中身が残っているのを見つけ、どうせごま豆乳やし入れてまえ!と「ごま豆乳に、ごま投入!」とひと言。

嫁 「ん…?」

嫁が反応する。

私 「なに?」

嫁 「あなたにしてはめっちゃうまい」

私 「・・・」

嫁 「いつもはだいたいしょうもないけど、それはめっちゃうまいやん」

私 「そうか、ありがとう」

何か褒められて嬉しい私であった。

そうそう、嫁は結構ごまが好きなようだ。

あるとき、皿に入れたごまをスプーンで食べていたりする。

私 「そんなして食うもんなん、ごまって」

嫁 「うん!おいしい!おやつみたいな感じで
パリパリッていうのもおいしい」

どうやら、ごまを食べる音まで美味しく食うているような言い方で。

以前、嫁さんは魔女か?と書いたが、嫁は、音を食う妖怪でもあるのかもしれない。

ただ、ごまを食い過ぎると、顔をデキもんができやすくなる、というようなことも言っていた気がするので、ごま好きの方はちょっと注意されたし。

君に幸せあれ〜ってな

嫁は丑年、私は寅年。

ひとつ上の姉さん女房ということになる。

「年上の嫁さんは金のわらじを履いてでも探せ」という、諺?言い伝え?もある。

一般には「ひとつ上の」というのが主流となっているようなので、うちの嫁はまさに、これに該当するわけだ。

もちろん今の時代、わらじを履いて生活している人はほとんど見かけないし、私も、靴を履いているわけで、まして、金のわらじを履いて嫁さんと結婚するに至ったわけではない。

この諺に、どういう深い意味があるのかないのかよく調べてもいないが、全体的に、私の場合は、嫁さんと結婚して良かったなぁと思っている。

どういうところが?と聞かれても、はいこれ!と具体的に分かりやすい例を挙げにくいのだが、なんやかんやありながらも、うまいこといってるんじゃないか、という感じだ。

嫁も私も、昔よりはいくらかお互いに合わせる感じも出てきたかもしれないが、なんとなく、嫁が私に合わせてくれているような気がすることがある。

そして、ホントにそれでいいのかなぁと思ったりすることもある。

結婚したとしても、嫁の人生、私の人生であって、束縛や強制は、あるべきじゃないと思う。

一緒にいるということで、お互いが納得できるところ、落とし所を見つけようとしていくことになるんだろうか。

ただ、落とし所と言っても、妥協のようなものだと良くない気がする。

そうだなぁ、お互いの人生を合わせて、1人では成せなかった、新しい人生を作っていく、と言った方がいい感じかな。

川の小さな支流が、それぞれ紆余曲折くねくねしながら、合わさって本流となって一緒に流れていくような、そんな感じか。

嫁は、自分の人生を、そして、私と合わせた2人の人生をどう考えて、思って、感じているんだろうな。

金のわらじは履いていなかったけれども、出会って結婚して良かったと、私は思っている。

だからこそ、嫁にももっと幸せになって欲しい…なんて、月並みな表現だが、そういう思う。

さぁ、そして…

たまぁに、そんなことも思ったりするわけです。