おりひめ と ひこぼし

今年の七夕の日は、私たちの住んでいるところでは雨は降らず、晴れの天気だった。

ということは、話によれば、年に一度だけ会うことを許されている、おりひめとひこぼしは、顔を合わせたことになるのだろう。

子供の頃に聞いた昔話、お伽話の類は、理屈で考えるとツッコミどころ満載であるものがほとんどだと思う。

おりひめとひこぼしの話もそうだが、雲の上の人?神さま?星?ということから、曇りであろうと、雨であろうと、その上で会えているはずで、地上にいる私たちから見えるかどうか、ということだ。

逆に、おりひめとひこぼし側からすると、晴れの日は、地上から見られた状態で会うということになり、むしろ七夕の日は、曇りや雨の方が、彼女らにとっては有り難いのではないかとさえ思う。

いずれにせよ、年に一度しか会えないというのは気の毒なものだ。

嫁とそんな話をしていたら、嫁が言う。

嫁 「一年に一度とかだったらたくさん話することがあって忙しいよなぁ。順序立てて話さんと時間が足りないし。『それでは私の方からお話しさせて頂きます。四半期ごとに区切ってまずば第1四半期のことから報告いたしましょう』とか」

私 「そして1年の暮らし向き、良し悪しをグラフ化したのがこちらです!言うてな」

嫁 「なんでジョブズ・スタイルなん?和牛や!」

おりひめとひこぼしは、1年に1度、どんな話をしているのだろう。

彼女ら彼らの世界も、近代化しているのかもしれない。

もしかすると、管理の目を盗んで、しょっちゅうスカイプやフェイスタイムなどで間接的に顔を合わせているかもしれない。

いや、ちょっと待てよ・・・天空の話であるとすれば、星の歴史から見て1年なんてあっちゅう間、というのかもしれない。

もしそうであれば、1年に1度しか会えないから可愛そう、と思っているのは地上の我々だけで、私らの感覚に置き換えると、毎日会っている、それこそ夫婦のような感じかもしれない。

そしたらお互いに噛み合わないことも、機嫌悪いこともあるだろう。

そうだ、夫婦の関係もそういうふうに考えてみるのも良いのかもしれない。

1日を1年に例えて、ある日もし喧嘩してふて寝したとしても、朝起きたときには1年会っていなかったと想像して「あぁ1年前は喧嘩して別れたけど今年は仲良くやりたいな」と。

「こんな1年もういやや…」となれば、お互い協力できるんではないか。

っていうか、毎日心がけたらよろしやんか・・・