視力回復メガネ 3世代

うちには、視力回復メガネ?サングラス?なるものが3つ置いてある。

黒いプラスチックの、見かけはサングラスだが、レンズにあたる部分に小さな穴が空いている代物。

うちにやってきた順番に上から並べるとこんな感じ。

まず初代。

たくさん穴が空いていて、嫁がかなり前から持っていたもののはず。

どこでいつ、これを手に入れたのかを私は知らなかったのだが、ちょっと聞いてみたところ、

嫁 「いやぁ〜、覚えてないわぁ」

私 「ま、そやろな、大概のこと覚えてないもんな」

嫁 「あーでも、それかけてたら『たむけん みたいやなぁ』って言われたのは覚えてる」

相変わらず、質問に対しての答えからは、少しだけズレている。

そして、2代目。

これは穴が5個しか空いていない。

これは、ここ1年以内くらいに、一緒に行った本屋で嫁が買ってきたもので、私も覚えていた。

確か、

嫁 「一緒に視力回復しよー!」

と言っていた。

3代目。

これは私が数ヶ月前に100均で買ったものだ。

さて、ここまで来て、すでに2つあるのに、100均とは言え、なぜ3つ目を私が購入したのか。

気になる人はいないと思いつつも書くと…

それは初代に関係あり。

これ、3つの中ではかなりの先輩で、かれこれ10年以上も私らと一緒にいることになる。

その歴史が見かけにも現れていて、折り曲げられる部分が両側とも、折れていたり、部品も無くなっていたりで、私が最近ホッチキスの芯で繋げて、とりあえず使えるようにした。

壊れたものは基本的にどんどん捨てていく嫁にしては珍しく、ずっと使えない状態で放置されていたのだ。

私 「なんでずっと置いてたん?珍しいな」

嫁 「ん? 視力回復したいなぁと思って」

私 「いや、あのままやと置いとっても使えへんかったやん」

嫁 「うん、でも視力回復したいしね!」

禅問答とは言わないが、会話のベクトルが合っていなさそうだったので「なるほどなぁ…」と言って話は切り上げた。

別に何ということはないのだが、たとえ視力回復メガネだったとしても、壊れて使えないもの、使わないものをずっと置いていた、ということが、どうにも珍しく思えて、何かまだしっくり来ていないのだ。

過去の漫画「視力回復メガネ

過去の記事「視力回復メガネの利用方法

真っ白に…

ホームセンターへ日用品を買いに行ったとき、ペット用品売り場のところに、小動物のコーナーがあって覗いてみると、インコやらハムスターやらうさぎやらがいた。

眺めていると「ハムスターめっちゃかわいいやん…」と感じ、少しだけ飼うことを考えた。

犬や猫を飼っている人は多いし、ペットを飼うことにそれほど大げさに考える必要はないのだと思うが、我々夫婦、ちゃんと面倒見れるんだろうかと、尻込みしてしまう。

外出のときどうするんだ、旅行のときどうするんだ、夏の暑さ、冬の寒さはどうするんだ、といろいろ考えていると、やっぱりやめとこう、となる。

犬猫に比べれば、鳥やハムスターあたりは、お世話のレベルが少し減るような印象があって、ふらっと連れて帰りそうになったが、やっぱりお世話できんだろうな、ということで、今もうちにはペットはいない。

もし、ペットを飼ったとすると、おそらく基本のお世話は私がやることになるのだろうなと思う。

プランター菜園をやっていたときも、私はそれこそ土作り、肥料やり、毎日の水やりなど、細々とした作業を、わりと楽しんでやれるタイプなのだが、嫁はそういうことは苦手なように思う。

シソや小松菜などをベランダのプランターから収穫して食べたときに、

嫁 「うわー、ほんまに出来るねんなー、すごいなぁ」

私 「でも、シソや小松菜って初心者向けで、普通にしてたら育つらしいわ」

嫁 「いや~、ほんまに食べれるんやもんなぁ、すごいわぁ」

と、簡単か難しいかに関わらず、とにかく育ったことに対して感心したようだった。

私 「そういや、こないだハムスター見たとき、ほんま飼おうかと思ってもうたわ」

嫁 「ははは、えらい見てたもん」

私 「でも、面倒見切れへんような感じがするからなかなか踏ん切りがつかんわ」

嫁 「飼ったら飼ったで、ちゃんと見るんとちがう?」

私 「まぁ俺やったらそうかもしれんけど。」

嫁 「あたしはあかんやろうな~」

私 「あんたの場合、動物じゃなくて、藻とかええんちゃうか、そうや、マリモとかええやん、ちょうどあんたと一緒で丸いし」

嫁 「ははは! 藻でもあかん気がする。あたしブラウンフィンガーやねんわ。あなたはグリーンフィンガーやね。」

私 「あーそういえば、サボテン枯らしたことあるって言うてたな」

嫁 「あーそうそう! サボテンって手間かからへんと思ってたのに、なんか白くなったから捨てた」

私 「(笑)『真っ白になったぜ』ってか? 『あしたのジョー』やあるまいし…」

嫁 「あれ何でやったんやろ? 水やりすぎなん?」

私 「知らんがな…。せっかく部屋にグリーンを、って買って来たサボテン、『白なったから捨てた』って、ひどない?(笑)」

そういえば、かつみさゆりさんのエピソードで、300万円ほど借金をしてクワガタを育てて、600ペアくらいになったときに、さゆりさんがバルサンをたいて全滅させてしまった、というのがあった。

我が家もそういう類のことに気をつけなければいけないのかもしれない。

骨子

新聞に目を通していたとき、たまたま普段はあまり読まない政治面の記事で、マニフェストの骨子云々というところが目についた。

骨子。

何となく、嫁に話ししてみた。

私 「政党の『ほねこ』が載ってるわ」

嫁 「なに?」

私 「今日の朝刊には、いろんな政党のマニフェストの『ほねこ』が出てるんや」

嫁 「・・・」

私 「なんや?」

嫁 「うん・・・ただ、それって『こっし』って読むんと違うかな・・・」

私 「そうやな」

嫁 「なんやー!知ってるんかー! あなた時々そういうの知らんことあるから!あははは!」

私 「ほれほれ、新聞みてみてぃ『ほねこ』がいっぱい」

嫁 「もういいって!(笑)」

・・・

私はそうやって面白がって言うことがあるが、確かに嫁の言う通り、人から「えっ?」と思われるようなことを知らないことがあるようだ。

「ほねこ」はわざと間違ったんやが、私が本当に間違っている時と同じく、今回も嫁は、本当に間違ってるんやろうか…と、確認のように訂正してくれるところがある。

こういうところ、嫁の長所、優しいところだと、私は感じているのですよ。

「一瞬の夏」で晩酌

数日前に「一瞬の夏」というノンフィクションの本を読み終えた。

沢木耕太郎さんの作品だが、この人の名前を知ったのは「春に散る」という小説で、これは新聞に連載されていたそうだ。

それも、連載されているときには知らなかったのだが、義母が読んでいて面白かったらしく「お薦めよ」と言っていた。

あるとき本屋さんで単行本が並んでいるのを見つけて「そう言えばお母さん言ってたなぁ」と思い出し、購入したところ、結構ハマって通勤時間を使って数日で一気読み。

沢木耕太郎さんと言えば「深夜特急」で知っている人が多いのかもしれない。

大沢たかおさん主演のドキュメンタリー的なドラマにもなっていたし。

私は、小説にしてもドラマにしても「深夜特急」という作品は、公開同時に出会わなかったのだが、何年か前に香港へ出張に行ったときに「重慶マンション」の前を通りかかった際、一緒に行った後輩が「ここ『深夜特急』に出てきたとこですやん!」と言っていて知るに至った。

で、香港から帰ったときに「深夜特急」の文庫本を買って香港滞在時のところだけ読んだ。

そんなこんなで「深夜特急」「春に散る」と、私にはどちらも面白いと感じたので、他の作品も読もうと思い、本屋で見かけた沢木さんの本で「敗れざる者たち」「一瞬の夏」と立て続けに読んだ。

内容についてはネタばれさせないよう書かないとして、読んでいていろいろ考えさせられるところがあった。

読み終えた日の晩酌で、

私 「今日『一瞬の夏』っていうノンフィクション読み終えたんやが、いろいろ考えたわ」

嫁 「へー」

私 「『いつか、いつか』って言うてて、その『いつか』が来るんだろうか…とかな」

嫁 「いつやるの!!今でしょ!や」

私 「ははは、まさにや」

嫁 「・・・」

私 「・・・」

嫁 「あ、ごめんごめん!腰の骨、折ってしもうたな!」

私 「(笑)!」

嫁 「?」

私 「『話の腰』のことか? 腰の骨、折ったら大ごとやわな…」

嫁 「うっわ!ほんまや!あははは!おもろー!」

私は自分の腰の骨を折られたとは気づかず、ビールを飲みながら喋っていたのか。

「お前の腰はもう折れている…」「なにっ・・・ひでぶー!」ってなもんか。

読後感に、新たな感覚がもたらされた感じだ。