里帰り

先日、本当に久しぶりに親の生まれ故郷へ。

私の父方のお姉さんの49日の法要で、嫁と母と私の3人、車で出向いた。

母は数年に一度くらい姉妹で帰っていると聞いているが、私にとっては30年以上振りに訪れたことになる。

片道4,5時間といったところで、車の運転しんどいかなぁと思っていたのだが、案外疲れを感じることなく行き来できた。

私の実父が他界して25年以上経つので、直接的な関わりがほとんどなくなっていたこともあるし、ちょっと距離もあるし、年賀状のやりとりくらいだったので、本当に久々だった。

それでも、実際に皆さんと会ってみると、誰が誰でというのはちゃんと分かるもんだなと改めて思った。

もともと超久しぶりというのもあるが、私の従兄妹が全員揃うということにもなって、ほんと久しぶりだね~と。

嫁も母も、私自身も、親戚づきあいなどはあまり得意な方ではないと思うし、積極的に連絡を取り合う感じでもなかったし、今回は、いろいろとそれぞれ気疲れするんじゃないかなぁと思っていたが、それほどでもなく普通に過ごせたのか?と思う。

従兄妹からは、私は「丸坊主のランニングシャツ」という印象らしく、小学生のイメージのまま更新されていないということのようだった。

親戚の叔父さんや叔母さんも、皆さん70歳以上、80歳代と、身体的にも大変そうな感じもあったし、時間が経っていることを改めて感じた帰省だった。

嫁、私ともに、どちらかというと都会で生まれ育ったこともあるのかもしれないが、脈々と受け継がれている先祖とかお家とか、そういうことに関しては無頓着、無知で、私の父母もそういうことを私に話して聞かせることもほとんどなかったので、ルールとかマナーとかもよく分かっていない。

そういえば、父の兄弟の長男さんのおうちは、娘さんだけだったので、養子を迎える?迎えた?という話も聞いた。

そのときは居られなかったのだが、親戚の叔父さんや叔母さんたちなんかは、〇〇家というものに対して、もう少し重要なものと考えているのかもしれないなぁ、と思ったりする。

親戚ということで、全くの他人とは違う感覚はあるものの、世代などが違うと考え方も違うだろうし、そうじゃなくても、近くに暮らしている同じ世代の人でもズレがあったりもするのだから、親族とかお家とかいうものはなかなか不思議なものだとも思う。

あまり話さないが、母は母で、たまにしか帰らないことに少し申し訳ない感覚があったりもするようで、私とて、子どもがいないことに対して、何か言われたりもあるかなぁと、心配とはまでは言わないけれど、ちょっと気にはなっていた。

そういうことが絡むと、親戚と言えども、完全にフラットな状態で付き合うのって、なかなか難しいところもあるのかもしれないなぁなんて思ったり。

それはそうと、嫁がシイタケの入ったビニール袋を持っていたので、どうしたのか聞いたところ、私の叔父さんから「はいこれ、持って帰り」という具合にグイっと差し出されたそうな。

また、お墓参りでは、江戸時代くらいからの先祖の名前が刻まれた、霊標?墓標?戒名板?が並べてあり、それについてお坊さんと話をする叔父さんが「この人はあれじゃ…」と言いながら、その石塔を杖で指していたのを見て、「そんな指してええのかな」とツボったそうな。

その叔父さんは、私にとってもとても話やすい人だ。

嫁は、私の実母と私以外、全員知らない人との数時間だったのだが、特に肩身の狭い思いをすることはなかったようなので、ひと安心かなと。

どういうもんなんだろうな、親戚って。

とりあえず、ひとつの行事ができたということかなと思います。