
温泉街

嫁とのやりとりなどを旦那が書いているブログです。

以前、嫁のことを「雑」、自分のことを、対義語として検索で出てくる漢字「整」として、夫婦の関係を解釈してみようと試みたものの、あまりうまく行かなかった。
ざっくり「攻めの嫁」「守りの夫」ということは出来るかもしれないが、分野によっては逆の場合もあって、なかなかひと口には、お互いの性格を言い表しにくいものだ。
今回は、嫁が「守り」とも言えるエピソードをひとつ。
嫁は車の免許を持っていないのだが、原付の免許は持っている。
と言っても家に原付はないし、そもそももう学生のとき以降は乗っていないんじゃないかと思う。
嫁が原付の免許をとりに行ったのが大学生のときで、父親と一緒に私見を受けに行っていた。
義父は車の免許を持っていたこともあったそうだが、電車通勤の会社員でもあって、まさに高度経済成長を支えた世代と言えるだろう。
しょっちゅう酒を飲むことから、車は持たず、免許も更新しなくなってて久しかったところに、娘が原付の免許をとる、ということでそれに便乗したのだろうと思う。
嫁が誕生したのが、義父、義母が30歳前後くらいのときの子だったはずなので、原付免許を娘と一緒に取りに行ったその当時、50歳前後だった義父だが、40歳代半ばという自分と重ねてみると、よく学科試験に受かったものだなぁと、ちょっと感心する。
忙しい仕事の合間に、娘である嫁と一緒に試験を受けに行き、合格してそのまま実習を受けるために頑張ったのだろうと思う。
義父の頑張りの甲斐あって、2人とも学科試験に合格し、一緒に実習を受けたとのことだ。
本題とは少し離れてしまうが、その実習の際には、教官が順を追って説明している最中に、勝手にエンジンをかけたりして、「大将!まだや!」と怒られたりしていたそうだ。 義父はかつては、原付も車も免許を持っていたので、乗り方などはしっているわけだ。
そのときは嫁は大学生で、恥ずかしかったので、他人のフリをした、ということである。
そんなこんなで、2人して見事合格を勝ち取り、晴れて免許証を手に入れたわけだった。
その帰りにはささっと原付を購入、2人して居酒屋で祝い酒を嗜んだということだ。
さて、そうして嫁の原付ライフが始まる。
もし「攻めの嫁」という観点から行くと、別に走り屋さんではないので、ブンブンとばすということは無いにしても、乗り回すかのようなイメージを持つのだが、原付に関してはどうもそうでないようだ。
嫁は、どちらかというと寝るのが得意技で、人なり目覚ましなりが起こさないと、いつまででも寝られるタイプだろうと思うが、なんと、原付の練習のために、交通量が少ない早朝に起きて、原付で公道を走る練習をしていたそうだ。
その際、あまりにゆっくり走っていたために、自転車のおばちゃんに抜かされていたということだ。
私も初めは、ある程度恐る恐るではあっただろうと思うが、今まで自転車を使って行き来していたのが原付になって、こんなに時間短縮できた!などと喜ぶところ、彼女は、来る日も来る日も、自転車のおばちゃんに抜かされながら、ひたむきに、マイペースに、練習を重ねていたのだ。
そして、本人が「イケる!」と判断したのをキッカケに、満を持して、喫茶店のアルバイトへの通勤手段として使い始めたようである。
そんな練習をしていた話を聞いて、嫁の「守り」の一面というか、慎重さが垣間見られる。
でも、たとえばこういった原付に乗る練習などというものについては、必要な慎重さであると思うので、攻めとか守りとかいう以前に、嫁のちゃんとしているところが出ている話だよなぁと思う。
ってなことを考えていると、たとえ夫婦という親しいはずの間柄であっても、むしろ、付き合いが長くなればなるほどに、いろんな側面を知ることになって、お互いの性格をひと言で言い表すなんていうのはなかなか難しいのではないかなぁと思ったりするのです。

(つづき)
そんな楽しくも辛くもあったキャンプが終わって、いよいよ嫁の家にプラスチックの食器を返しに行くのだ。
そして、とにかく、好きだったんです、ということを必ず言おう、とキャンプの時にはすでに決めていたのである。
でも、嫁から何らかの答えをもらおうという発想がなかったので、言うだけ言ってささっと帰ろうと思っていたのだ。
やっぱ恥ずかしいでしょう…
チャリで15分くらいで到着する距離。
そう言えば、この頃は自分の周りで携帯電話なんて持っている人はいなかったし「今から行きます」という連絡は家の電話にしたんだろうか。
意を決して?出発したはずだが、その道中のことは全く覚えていない。
それでも、到着していたのだろう、
ピンポーン♪
「はーい」ガチャ。
私「あ、どうも。これ。」
(プラスチック食器入りの大袋を渡す)
嫁「あーありがとー」
(嫁がそれを家の中に運び込み、改めて玄関先に出てくる)
私「キャンプ楽しかったですね」
嫁「そやねー」
私「・・・」
(あかん、この流れの感じ「好きや!」と言うタイミングが作れへんがな…)
・・・
嫁「あ、そうそう、花火せえへん?」
私「・・・?」
嫁「花火」
私 「花火」
・・・
私「え?あ、うん、はい!やるやる!」
ということで、手持ち花火をやった。
なんやなんやこの展開は・・・!
そのとき何を話したか覚えていないが、こうやって誘ってくれたということは避けられてはないよな…と、少し冷静になって単純に嬉しかったことは覚えている。
それこそ時間が止まればいいのに、という気持ちを実体験したのだ。
女性は気づかないだろうが、男性もそういう気持ちになることがあるのを私は実体験として証明しているんですよ。
しかし、時は残酷な一面も持っていて、花火の在庫が尽きる。
そして、名残惜しいけど帰る感じかなぁとなったとき、もう時間がない!いざ!
私「僕、◯◯先輩のこと好きやったんです」
(おー、言えたで俺! 言えたで俺!)
嫁「私も」
え!? なになに? どういうこと? 何が起こってる? 今どういう状況!?
結構返事早い!?
こういうとき、言葉の意味、状況を理解するのに、結構な時間がかかるものだ。
その後なんの話をしたのか覚えていないし、付き合うとか付き合わないとか、そんな事まで話したんだろうか?覚えていない。
たぶん、だいぶん後になってから、今って付き合ってるということなんかな、と確認した感じだったんじゃないか?覚えていない。
青春だ…
過去のことは、今日のところはこれくらいに。
19年の間にはもちろん離れる時期があったり、周りからすると危機と言われるような状態など、いろいろと無いことはなかったが、今も共にいる嫁。
たまに、馴れ初めなどを思い出してみるのも、夫婦にとって良いことでもあるのかなと、やってみたわけです。
嫁との出会いは、高校時代。
嫁はひとつ上の先輩で、学校の部活で知り合った。
会ったときに「お…」と、すでに好意を持ったのは覚えているが、先輩というのがあってか、恋愛対象としてではなく、ちょっとした憧れの存在という感じで捉えていたように思う。
春に私が新入生として入部してから1年半を過ぎた頃には、嫁も含めて、クラブの皆んなとそれなりに仲良くなっていて、嫁のことを「やっぱええな〜」と思っていた。
嫁と付き合い始めたのは、私が2年生、嫁が3年生の時で、晩夏。
付き合い始めた季節を覚えているのは、部活の皆で行ったキャンプのあとだったからだ。
岩がゴツゴツとあって、切り立った岩の上から川に飛び込んだりできる場所で、飯ごう炊飯などもやって楽しく過ごした。
記憶が曖昧だが、飯ごう炊飯なら、たぶんカレーを作って食ったんだろうなぁ。
そのときに、プラスチックの皿やらスプーンやらが準備されていて、それが嫁の家の持ち物だったのかどうか定かではないが、最終的に嫁の家に持っていく段取りになっている、ということだった。
そのことを知った私は、急遽、その食器類を自分が持ち帰る、そして、先輩(嫁)の家に届けるところまでやる、と立候補した。
はっきり覚えていないが、きっと私よりも嫁の家に近い人がいただろうけど「いいよいいよ『俺が』持って帰るから!」とその仕事を勝ち獲ったはずだ。
おそらく、本来、仕事とはそういうものだ。
私の性格からすると珍しく?「俺が俺が」が出ていて、ちょっと不自然だったかもしれない。
そういうキッカケをも与えてくれたキャンプではあったが、ショッキングなこともあった。
大きな岩の上に何人か女子先輩たちが仰向けに寝転がり、星空を眺めながら話をしていて、私もたまたま近くにいて聞くともなしに聞いていた。
すると、
A先輩「◯◯ちゃん(嫁)、彼とはどうなっってんのよ?」
私「・・・!!」
嫁「いや、なんもないって!」
え?なに?彼氏おんの!?
まぁ、好きだという気持ちは確かに持っていたが、付き合いたい、ということまではどういうわけか考えるに及んでいなかったのだが、
「え〜マジかぁ…あ〜そんなんやぁ…ま〜そうやんなぁ…いやぁ〜そっかぁ…」
と満天の夜空の下で、何とか平常心を保とうとしたのであった。
翌日は、そのダメージが出たのか、川にダイブする時に尖った岩で足の親指切るわ、管理事務所みたいなところでヨードチンキみたいな液体で荒治療されるわ、痛そうな顔してると「そらこんだけ切ってるから痛いわ!ガッハッハッ!」とおっさんに面白がられるわで、散々だった。
(なんか足の指が痛くなってきた…)
翌日は切ったとこが痛いし泳ぐのをちょっと控えて、岩の上から写真係などしつつ大人しめに過ごしたが、後から見ると、私が撮った写真には、さりげなく嫁がどこかに写っていたようだ。
(つづく)