面白い顔で「ふふふ」

よく行っているショッピングモールには、野外だが屋根があって、椅子が並べられているテラスのようなところがあり、解放されている。

そこは我々夫婦のお気に入りで、そのショッピングモールに行った時にはほぼ毎回そこのソファかイスに腰掛けて、休憩したり本を読んだり話をしたりする。

以前に書いた、月次報告会みたいなものも、そこでやることも多い。

そうは言っても野外なので、冬場には寒くてたまらんし、夏場は暑くて居れたもんじゃない。

なので、そこは春と秋の限られた時期だけという感じだ。

特に買い物する用事もなくても「あそこ行こか」という具合に出かけるときもある。

私らは結構何もしなくてもボーッとしていられる方だが、そもそもそういう時間というのはめちゃくちゃ贅沢なものなんだなと。

海辺なんかだと波の音を1日中聞いてるだけってことも平気だと思うのだが、なかなかそこまで贅沢に時間を使えるほど余裕はないかな…。

それでもそこのテラスはいい頃合いで贅沢時間を満喫できて好きだ。

それぞれ読みたい本を持って出かけ、しばらく自分の世界に入っていて、ふと嫁の方を見ると、嫁もこちらを見ていた。

しばらく見合ったあと「ふふふ」と嫁が笑い、私もつられて笑い、2人して「ふふふ」。

私 「なんやこれ?」

嫁 「なんか面白い顔してるな〜と思って」

私 「あんたもや」

と、お互いに面白い顔をしているということで笑ったようだ。

人間だいたい毎日同じ顔をしているはずだが、面白い顔だと思って?笑い合える時間が持てるというのは、いいもんじゃないかと思うのだ。

貴重なご意見

この嫁ブログのことを嫁に話して、抜粋して読んみてもらった。

嫁 「ははは、そんなことあったな〜」
嫁 「なんかそんなこと言うたな〜」
嫁 「あ〜そんなんやってたかも〜」

私 「ええ感じやろ?」

嫁 「笑ける」

私 「実際のことやから後から見ても、記録みたいで感慨深い…とまでは言わんけど、ちょっとは楽しめると思うねんな」

嫁 「続けようと思うんやったら続けたらええんちゃう?」

と、それなりに好評だった感じがした。

ある日の晩酌で、どういう話の流れだったか忘れたのだが、このブログの話題になって、酔っ払った嫁が言い始めた。

嫁 「なんか変なんばっかりやん」

私 「なんで? ほんまのことやん」

嫁 「変なところだけピックアップしてる…そんなんばっかり書かんと、私の美しさとかさぁそういうので1ページ書いてみぃさー!」

と、からまれた。

私 「じゃあ『私の美しさとかそういうことを書け』と言われた、ということを書くわ」

嫁 「そういうことじゃないでしょうが…!」

と、さらにからまれた。

そういう要望があることは分かったのだが、このブログには、実際のことを書くようにしようという当初設定した自分ルールに則って、今日の記事は、このようになりました。

可愛いお嫁さん

嫁としては初対面の、私の父方の親戚。

法事のために父方の兄弟、長男の叔父さん宅。

車で出向いたのだが、駐車スペースは1台分しかない。

親族が何家族かやって来ているわけで、当然停めるところがなかった。

前もって調べてくれていた従兄弟がナビしてくれつつ、近くのコインパーキングに停めることができて助かった。

その間、嫁と母を叔父さん宅に残していたのだが、嫁は全員が初対面という状況でその場にいることになっているのでとても気になった。

後日、

私 「すまんかったな、車置きに行ってる間、大丈夫やったか?」

嫁 「大丈夫やったよ」

私 「はじめて会う人ばっかやし、オカンもそないに流暢にとりもてる方ではないし」

嫁 「ホンマのはじめてって、聞くこといろいろあるからむしろいいかも」

私 「なるほどそうかもなぁ、でも、とりあえず先に紹介しとけば良かったなと」

嫁 「うん、でも、自分で『彼の嫁です』って自己紹介したし」

私 「それも会話のきっかけにはなるか…」

嫁 「そうそう、叔母さんがお母さんに『可愛らしいお嫁さん、娘さんができて良かったねぇ』って言ってたんよ」

私 「ははは、それを社交辞令と言うんや」

嫁 「皆さん言うてくれて、アナタの親族の方々はほんとに正直な人たちやなぁって」

私 「『あら〜ブサイクなお嫁さんですなぁ!』とは誰も言わんやろ、お世辞というやつや(笑)」

嫁 「いや〜ほんとに正直な人たちやわ〜」

私の従姉の1人と同じ年だったようで、松嶋菜々子と同じ年だ、友近とも同じ年だ、とか話してたらしい。

結構よそ者扱いというか、あまり歓迎してないような対応をされるケースも無くはないようなことも聞くので、嫌な思いしなくて済んだのであれば、良かったなぁと思うし、有難しだ。

里帰り

先日、本当に久しぶりに親の生まれ故郷へ。

私の父方のお姉さんの49日の法要で、嫁と母と私の3人、車で出向いた。

母は数年に一度くらい姉妹で帰っていると聞いているが、私にとっては30年以上振りに訪れたことになる。

片道4,5時間といったところで、車の運転しんどいかなぁと思っていたのだが、案外疲れを感じることなく行き来できた。

私の実父が他界して25年以上経つので、直接的な関わりがほとんどなくなっていたこともあるし、ちょっと距離もあるし、年賀状のやりとりくらいだったので、本当に久々だった。

それでも、実際に皆さんと会ってみると、誰が誰でというのはちゃんと分かるもんだなと改めて思った。

もともと超久しぶりというのもあるが、私の従兄妹が全員揃うということにもなって、ほんと久しぶりだね~と。

嫁も母も、私自身も、親戚づきあいなどはあまり得意な方ではないと思うし、積極的に連絡を取り合う感じでもなかったし、今回は、いろいろとそれぞれ気疲れするんじゃないかなぁと思っていたが、それほどでもなく普通に過ごせたのか?と思う。

従兄妹からは、私は「丸坊主のランニングシャツ」という印象らしく、小学生のイメージのまま更新されていないということのようだった。

親戚の叔父さんや叔母さんも、皆さん70歳以上、80歳代と、身体的にも大変そうな感じもあったし、時間が経っていることを改めて感じた帰省だった。

嫁、私ともに、どちらかというと都会で生まれ育ったこともあるのかもしれないが、脈々と受け継がれている先祖とかお家とか、そういうことに関しては無頓着、無知で、私の父母もそういうことを私に話して聞かせることもほとんどなかったので、ルールとかマナーとかもよく分かっていない。

そういえば、父の兄弟の長男さんのおうちは、娘さんだけだったので、養子を迎える?迎えた?という話も聞いた。

そのときは居られなかったのだが、親戚の叔父さんや叔母さんたちなんかは、〇〇家というものに対して、もう少し重要なものと考えているのかもしれないなぁ、と思ったりする。

親戚ということで、全くの他人とは違う感覚はあるものの、世代などが違うと考え方も違うだろうし、そうじゃなくても、近くに暮らしている同じ世代の人でもズレがあったりもするのだから、親族とかお家とかいうものはなかなか不思議なものだとも思う。

あまり話さないが、母は母で、たまにしか帰らないことに少し申し訳ない感覚があったりもするようで、私とて、子どもがいないことに対して、何か言われたりもあるかなぁと、心配とはまでは言わないけれど、ちょっと気にはなっていた。

そういうことが絡むと、親戚と言えども、完全にフラットな状態で付き合うのって、なかなか難しいところもあるのかもしれないなぁなんて思ったり。

それはそうと、嫁がシイタケの入ったビニール袋を持っていたので、どうしたのか聞いたところ、私の叔父さんから「はいこれ、持って帰り」という具合にグイっと差し出されたそうな。

また、お墓参りでは、江戸時代くらいからの先祖の名前が刻まれた、霊標?墓標?戒名板?が並べてあり、それについてお坊さんと話をする叔父さんが「この人はあれじゃ…」と言いながら、その石塔を杖で指していたのを見て、「そんな指してええのかな」とツボったそうな。

その叔父さんは、私にとってもとても話やすい人だ。

嫁は、私の実母と私以外、全員知らない人との数時間だったのだが、特に肩身の狭い思いをすることはなかったようなので、ひと安心かなと。

どういうもんなんだろうな、親戚って。

とりあえず、ひとつの行事ができたということかなと思います。