光と陰

うちから歩いて10分〜15分くらいのところに川がある。

人工的に整備されていて、散歩してる人もいれば、ジョギングしてる人もあり、春になると石畳のところでバーベキューするグループが増えるし、夏には、水遊びする子供や若者も出てくる。

いくつかの場所に川へ降りる階段があって、近くを通るときには、我々も時々そこへ降りて川べりを歩くこともある。

季節のいいときには、川の近くに座って、せせらぎをBGMにコンビニで買ったつまみとビールを楽しむこともある。

私らは、結構何するわけでもなく、川のほとりやら、海を眺めながら、ただぼーっとすることができるクチだ。

まぁ、そういう時間ってかなり贅沢なんだけれども。

ある夏の日。

ちょっと川に足をつけようか、ということで川の中に足首くらいまで入って楽しんでいるうちに、だんだん水に慣れてきたというか、開放的になってきたというのか、膝上まで浸かったり、顔を洗ってみたり、腕に水つけて涼しんだり始めた。

そうしているうち徐々に、整備された川と言えども、ネイチャー感が出てきて、いっそうオープンマインド、フリーダム!という感じの気分になってくる。

嫁に抱きついたりして、挙げ句の果てには、(重くて?)一本背負い!とはいかないが、パシャ〜ン!と嫁を川に倒したのであった。

もちろんそのあとは「俺も後を追う!」とばかりにパシャ〜ン。

2人とも服のままべしゃべしゃになってしまった。

ありゃ〜とは言いながら、2人してきゃっきゃっとやっていたというわけだ。

何年前だったか覚えていないが、今の住所なのは間違いないから、10年は経っていないはずだ。

なら30代半ば以降だから、そこそこの大人がきゃーきゃー言ってはしゃいでいたということになるのかもしれない。

そう言えば私、子供サッカーのお手伝いに寄らせてもらったとき、パスが回ってきた際、そのままダーっとゴールまでドリブルしたことがあって、参加してた子供に「大人やのに大人げないなー!」と言わしめたこともあったか…。

子供に大人げないと言われるのは、大人げないのかもしれない。

それはともかく、そんな2人してずぶ濡れの大人が、談笑しながら徒歩10分〜15分の帰路に着いたのだった。

ここで、ちょっとした哲学的考察をしてみたい。

物事には光と陰の側面がある、とはよく言われることだ。

この出来事の光というと、夏を満喫、楽しく遊んだ、リフレッシュした、ということになろうか。

陰に相当することはなにか。

それは、嫁を川へ倒したときに、嫁はスネのところを擦っていたのだった・・・!

このときの傷は今も嫁のスネに残っているのではないかと思う・・・(ほんまごめんなさい・・・)。

さらに、私のジーパンのポケットに入ったままだったスマホ。

あっ!と思ってボタンを押すも電源が入らない・・・

そうしてやむなくスマホの機種変更・・・

いずれにしても、嫁さん、すみませんでした・・・

今、何か説明がつかないことや「えー!なんでー!」ということに出くわしているとしたときに「光と陰」という視点でちらっと考えてみると、自分なりに納得できる説明が見つかることがあるかもしれません・・・

いや、そうじゃなくて、嫁、ごめりんこ。