月に1度くらいだろうか、嫁と外飲みをする。
10年くらい前までは、ほんとに外飲みが多く、少なくとも毎週末、かなりの頻度で平日も居酒屋へ行っていたので、だいたい週3回くらいは、外飲みしていたのではないだろうか。
そりゃ貯金なんか貯まりませんわな・・・
ここ10年くらいか、ほとんどが家飲みで、自炊のことが多い。
家飲みは、まわりに気をつかう必要がないし、眠たくなったらすぐ寝れるし、なにしろ、電車に乗ったりして帰らなくてもいい、さらに家計に優しいとなると、デメリットはあまり見当たらない。
家飲みに慣れていると、外飲みがちょっと特別な感じにもなって楽しめるというオマケも付いてくる。
つい先日は、久しぶりに外飲みをして、そのあとカラオケにも寄ったが、これもかなりのご無沙汰。
嫁は、椎名林檎、中森明菜、真心ブラザーズなど、私は、エレファントカシマシ、スピッツ、洋楽ちょろっとなど、2人とも久しぶりだったこと、何杯か飲んでからだったこともあり、30分もしないうちに声がカスカスになってしまったのだが、もともと音楽好きの2人でもあって、また行こね~と話しながら帰ってきた。
カラオケの前に行ったのは焼き鳥屋で、そこでは、嫁はビール×2杯、カクテル×1杯、私は、ビール×1杯、ハイボール×2杯を飲んだ、と思う。
私は、お替りのハイボールを飲んだときに、義父のことを思い出して少々うるっと来た。
嫁の家族は全員呑み助。 私の家族は、父と息子の私は飲むが、母は飲まない。
でも、どちらの家庭も、ビールのグラスが冷やされているとか、ビールをはじめ、焼酎、日本酒、ウイスキー、ブランデーなどが常備されている状況は同じであった。
嫁の実家へ里帰りしたときには、義父がかち割氷にウイスキーを注いでくれることも何度もあった。
無理に飲ませるというところではないが、飲ませる、一緒に飲むが好きなんだなぁというのが良く伝わってきた。
ハイボールを口にしたとき、ふとその情景がフラッシュバックして「おっと・・・」となった。
とっさに「これ飲んだらふと父思い出してもうたわ・・・」と言った。
嫁もそれを口にすると、嫁の目からぶわっと涙が溢れてきた。
嫁 「うわ~やばいやばい」
私 「すまん」
嫁 「ちがうちがう」
つい思っていることをそのまま口にしてしまったのだが、悪かったかなと思った。
味覚と言うのは、記憶と密接に結びついているなぁと思う。
考えて思い出すというのではなく、記憶がぶわぁ~と湧いてくる感じだ。
私の実父は、私が20代前半のときにこの世を去っているので、一緒にちゃんとお酒を一飲んだという記憶がほとんどない。
父親と飲むという空気を味わわせてくれたのが義父だった。
義母もお酒に強かったので、家族全員が飲むというのも楽しいなぁと思ったものだ。
・・・・・
実父母、義父母のことを想うときに、嫁と私のそれぞれで、少なからず感覚的な違いはあるかもしれないけれど、ふとしたことで、それぞれに対してぐっと来てしまうことがある。
記憶として残っているのは、いい思い出の方が断然多い。
これはとても幸せなこと、有難いことなのだなぁ改めてと思います。