関白宣言

私の実家の家庭は、いわゆる一般的な昭和の家庭、という感じだったのではないかと思う。

どういうのを「一般的」「普通」というのかは一概には言えないけども、父が外で働き、母が家事、という分担で、それが当たり前のように回っていた感じ。

家族の団欒には、会話も笑いもあったけど、父のタイプとしては、いわゆる「メシ」「風呂」「茶」という雰囲気の人、と言った方がイメージがしやすいんじゃないかと思う。

家事といえば99%が母だったろう。

男は仕事、女は家事、という言い方は、いろいろと論議を引き起こしがちな話題だけれど、その家庭がその分担でうまく回っているのであれば、どっちだっていいというのが私の考えだ。

ある女の人が「女は家事して、旦那に尽くして、まるで男の奴隷みたい」と言っていたのを聞いたことがあるが、そういう人達からすると、私の家庭はまさにそのように見えていたかもしれない。

でも、中にいる私なり、両親は、そうは思っていなかっただろうと思う。

仕事と家事、男と女の役割、そういう話を嫁としていて、ふと、だいぶん前のさだまさしさんの歌で「関白宣言」という歌の話になった。

うちの嫁は、一般的にイメージされやすい、いわゆる「旦那に尽くす」というタイプの女性ではないと思う。

「関白宣言」これが発売された時、世の女性からかなりのブーイングが起こった、という話になった時、嫁曰く、

嫁 「この歌は最後まで聞かな良さが分からへんのにぃ」

とのことだ。

嫁 「あの曲を上っ面で解釈すると、そういう文句も出て来るかもしれへんけど、主人公の男の人が、どれだけ奥さん、家族を大切に思っているか、ってことが理解できるかどうかやと思う」

生活スタイル、夫婦の役割分担は、夫婦の数だけあっていいと思うけれど、そこに、愛…とまでカッコよく言わなくても、愛情?協力体制?みたいなものがあるかどうかがポイントなんじゃないか。

どういう夫婦、家族の役割分担でもいいから、それぞれが、必要だと思うこと、得意分野で働いて、その家庭に貢献できていればいいのだと思う。

炊事、洗濯、掃除といった家事、あるいは、外に出て担う仕事、そのどちらも、その家庭に必要と考えるから、その人がやっていることで、だから、どちらがどちらをやってもいいし、優劣はないと思う。

何を言っても私は男だから、女性の気持ち、嫁の気持ちは分からないかもしれないが、男はこういうもんだ、女はこういうもんだ、というのはよくない気がする。

お互いの希望する形を、実現していこうとするのが、夫婦生活、家庭生活というものなんじゃないかと思う。

「関白宣言」の始まりは、

お前を嫁にもらう前に
言っておきたいことがある
かなり厳しい話もするが
俺の本音を聴いておけ

女性はどう思うのだろう。

今風、令和風?に訳すと、

君と結婚したいと思ってるねんけど
ちゃんと僕の本音を言っておいた方が
お互いのためやと思うし
話 聴いといて欲しい

ということだ。

言葉尻を掴むんじゃなくて、その人が言おうとしていることを汲み取ろうとするのが、会話なんだろうなぁと、改めて思った次第です。