孫子

嫁が、孫子の本を読んでいる。

結構面白いようで、ちょくちょくその話をしてくれる。

超簡単に言うと、負けない、致命傷を負わない、ということを命題として、孫子がどう考えて、事を成していたか、ということが書かれているのだろうと想像する。

孫子に限らず、ことわざとか、言い伝えとか、先人たちが残した言葉に、そういう内容のものはよく出てくるし、昔から言われていることにも関わらず、実践が難しいことというのは往々にしてある。

「勝って兜の緒を占めよ」「急がば回れ」「逃げるが勝ち」といったものもそういうことだろう。

こういう言葉は、言葉そのものに価値があるんじゃなくて、それを読んだ人、見た人、その本人がどれだけ深く感銘を受けるかで、影響度が違うのだと思う。

同じ言葉でも、5年前に見たときは特に何も感じなかったけど、いま読むとすごく沁みる、なんていうこともよくあることだ。

たぶん、その人がその時に必要としている言葉であった場合に、大きな意味を持って吸収できるのだろうと思う。

嫁にとっては、いま孫子の考え方、言葉が吸収しやすい状況なのかもしれない。

ちょっと大袈裟に言うと、嫁はだいたいある物事をやり出して集中し始めると、周りはそっちのけで没頭するタイプであると、本人も言うが、私もそうかなと思う。

孫子の本を読んで感じたことを、嫁が身振り手振りを交えて話す。

嫁 「いま孫子の本読んでて、防御を覚えようとしてる。」

私 「ほぉ」

嫁 「そう。前までは『がぁ~!』って攻めて『がぁ~!』って負けることが多かったんよ」

私 「なるほど」

嫁 「『どぉ~ん!』っと向かっていて『どぉ~ん!』ってやられるっていうか」

私 「うん」

嫁 「勢いづいたら『ぐわぁ~!』って行ってしまうけど、逆に『ぐわぁ~!』って落ちてしまったり」

私 「『がぁ~!』『どぉ~ん!』『ぐわぁ~!』とかほんま関西人やなぁ(笑)。日本語やから普通に話してくれたら分かるよ」

嫁 「あははは!」

私は孫子の本を読んだことがないけれど、嫁から聞いている限りでは、平常心、不動心、沈着冷静、といったワードが浮かんでくる。

その孫子の思想を、この嫁がどういうふうに吸収して消化、昇華していくのかが楽しみである。

光と陰

うちから歩いて10分〜15分くらいのところに川がある。

人工的に整備されていて、散歩してる人もいれば、ジョギングしてる人もあり、春になると石畳のところでバーベキューするグループが増えるし、夏には、水遊びする子供や若者も出てくる。

いくつかの場所に川へ降りる階段があって、近くを通るときには、我々も時々そこへ降りて川べりを歩くこともある。

季節のいいときには、川の近くに座って、せせらぎをBGMにコンビニで買ったつまみとビールを楽しむこともある。

私らは、結構何するわけでもなく、川のほとりやら、海を眺めながら、ただぼーっとすることができるクチだ。

まぁ、そういう時間ってかなり贅沢なんだけれども。

ある夏の日。

ちょっと川に足をつけようか、ということで川の中に足首くらいまで入って楽しんでいるうちに、だんだん水に慣れてきたというか、開放的になってきたというのか、膝上まで浸かったり、顔を洗ってみたり、腕に水つけて涼しんだり始めた。

そうしているうち徐々に、整備された川と言えども、ネイチャー感が出てきて、いっそうオープンマインド、フリーダム!という感じの気分になってくる。

嫁に抱きついたりして、挙げ句の果てには、(重くて?)一本背負い!とはいかないが、パシャ〜ン!と嫁を川に倒したのであった。

もちろんそのあとは「俺も後を追う!」とばかりにパシャ〜ン。

2人とも服のままべしゃべしゃになってしまった。

ありゃ〜とは言いながら、2人してきゃっきゃっとやっていたというわけだ。

何年前だったか覚えていないが、今の住所なのは間違いないから、10年は経っていないはずだ。

なら30代半ば以降だから、そこそこの大人がきゃーきゃー言ってはしゃいでいたということになるのかもしれない。

そう言えば私、子供サッカーのお手伝いに寄らせてもらったとき、パスが回ってきた際、そのままダーっとゴールまでドリブルしたことがあって、参加してた子供に「大人やのに大人げないなー!」と言わしめたこともあったか…。

子供に大人げないと言われるのは、大人げないのかもしれない。

それはともかく、そんな2人してずぶ濡れの大人が、談笑しながら徒歩10分〜15分の帰路に着いたのだった。

ここで、ちょっとした哲学的考察をしてみたい。

物事には光と陰の側面がある、とはよく言われることだ。

この出来事の光というと、夏を満喫、楽しく遊んだ、リフレッシュした、ということになろうか。

陰に相当することはなにか。

それは、嫁を川へ倒したときに、嫁はスネのところを擦っていたのだった・・・!

このときの傷は今も嫁のスネに残っているのではないかと思う・・・(ほんまごめんなさい・・・)。

さらに、私のジーパンのポケットに入ったままだったスマホ。

あっ!と思ってボタンを押すも電源が入らない・・・

そうしてやむなくスマホの機種変更・・・

いずれにしても、嫁さん、すみませんでした・・・

今、何か説明がつかないことや「えー!なんでー!」ということに出くわしているとしたときに「光と陰」という視点でちらっと考えてみると、自分なりに納得できる説明が見つかることがあるかもしれません・・・

いや、そうじゃなくて、嫁、ごめりんこ。

おたずね本

我々夫婦は本が好きだ。

無類の…とは言わないが、ショッピングモールなどに行くと、ほぼ必ず本屋へは立ち寄る。

うちには嫁、私それぞれの本棚があって、好き好きにコレクションしている。

とは言え、スペースには限りがあるので、たまに整理して、読まなくなった本、もう繰り返し読むことはないかなぁと思う本はブックオフなどにまとめて売りに行ったりもする。

最近、それぞれで読んで面白かったものや、おすすめのものを置いておくための共用のスペースをつくった。

読んでみて!と思う本をそこへ置いておき、自分のタイミングで読んでみて、感想を言い合ったりする。

あるとき、読んでいた本の中で紹介されていた人物が気になり、嫁の得意分野かもと思ったので聞いてみた。

私 「◯◯ていう人の本持ってない?」

嫁 「あ、1冊あったはず!」

と「お任せあれ!」とばかりに自分の本棚の方へ小走りで探しに行った。

しばらく戻ってこなかったので様子を見に行くと、何かぶつぶつと独り言のように本棚に向かって喋っている。

嫁 「あれ〜確かに持ってたんやけどなぁ〜、売ったんかなぁ…うーん、あたしすぐ売るからなぁ、いや、あれぇ〜売ったっけなぁ」

見つからないようだ。

私 「ええよええよ、なんかアンタ持ってそうな気がしたから。また読む気になったら本屋で買うわ」

嫁 「確かに持ってて、ちょっと読んでんけど、なんか難しくて途中で読むのやめたんよ。売ったんやったかなぁ?」

私 「いや、俺は分からへんわ…(笑)」

そういえば、前にも1冊そういうのがあって、私は自分で買ったことがある。

それを読んでみて思うのだが、嫁は、理屈っぽく書かれた本はあまり得意でないのだろうと思う。

私もそういう本を読んで、バシッと頭に入っているとは言えないが、何か小難しく書かれた本を読むと、自分が賢くなったような気になって喜んでいるようなところがあるかもしれない。

嫁はそんなことはせず、分からんもんは分からん!と至極ストレートに選別しているのだろう。

だから、今回のおたずね本がどういうタイプのものなのかは察しがつく。

でも、私が読みたいといったものだから、えらく探してくれて、数日間は、

嫁 「売ったんやったかなぁ?」

私 「ええよええよ」

を繰り返していた我々であった。