嫁の逆ネジ

特にたくさん話をしているという意識はないとしても、ある程度長いこと付き合いが続いてる人に対しては、相手が使う言葉、ボキャブラリー、表現仕方など、その人らしさみたいなものが分かってくるのだろうと思う。

例えば、あるときその人が言った事に対して「ん? この人にしては珍しい言い方だなぁ」と感じたりすることが時々ある。

いつも強気の人がふと「俺あかんなぁ」なんてことを言ってみたり、いつも静かな人が「あのやろー!」とケンカ腰な表現をしてみたり。

こてこての関西弁の人が、標準語で喋り始めるなんてのも、憧れの表れか、誰かの影響なのか。

そこまで分かりやすいものでなくとも、その人がそれまで発したことのない単語を言ったりすると「?」と感じたりするものだ。

先日、なんの話してたのか忘れたが、

嫁「そんなん逆ネジかまされる」

と言っていた。

嫁らしからぬ表現だったので、思わず吹いてしまった。

私 「『逆ネジかます』てなんや(笑)」

嫁 「ははは」

私 「そんな言い回しどこで仕入れたんや」

嫁 「なんやろ?どうせカバチタレ!とかナニワ金融道とかちゃう?」

逆もあって、私が言った事に対して、

嫁 「なんか今の言い方、らしくない」

と言われてハッとすることもある。

「らしさ」というのはなかなか言葉では言い表しにくいものだろうと思うけど、一見何でもない日々の積み重ねが、その人の「らしさ」を作っていってるのかもしれないなぁ。

踏みつけられたメガネ

私は普段はコンタクトレンズをつけているが、だいたいでかけるときは、メガネも持って出るようにしている。

視力は、C字の表の一番上が見えないので、何歩か前に出るくらいのものなので、結構な近眼。

以前、コンタクトがずれしまい、左右の視力差が半端ない状態で、半日近く過ごしたことがあって、それからは、出かけるときは忘れずに、メガネを持っていくように心掛けている。

もともと視力が良い方ではなかったけれど、小学校高学年くらいのときに初めてメガネをつくったのだったか。

高校くらいでだいたい今の視力くらいだったかもしれない。

メガネで思い出したのだが、高校か大学のとき、嫁のうちにお邪魔して、なんやらかんやら話をしていて、メガネをふと床に置いて、顔をさすっていたときだったか、それに気づかずに、嫁がメガネを踏んづけてしまったことがあった。

もちろん、パリッ。

幸い、レンズが粉々になったわけではなく、ケガも無かったのだが、レンズにはヒビが入り、フレームは曲がってしまった。

「あ~ごめん~!」

「いや、しゃあないな」

みたいなことを言い合っていたか。

その日はどうやって自分のうちに帰ったのか分からないが、チャリンコで慎重に帰ったのだろうと思う。

翌日だったか数日後だったか覚えていないが、嫁は「メガネごめんね」ということでいくらかお金を渡してきた。

もちろんそういうつもりはなかったので、「いやいやええよ」というものの、「でも…」という話で、受け取った方が嫁の気持ちもすっきりするのかもしれない、という判断のもと、受け取ったのだったろうか。

こういうのは、どう考えるか人によっていろいろあるとは思うのだが、嫁が弁償しようという発想があることに、

「付き合うとるのに律儀なやっちゃな・・・」

と思うのである。

親しき仲にも礼儀あり、という言葉もあるが、あまり固く考えることもないとは言え、友達同士はもちろん、夫婦間であっても、親子間であっても、些細なことの考え方とか価値観といったものは、結構大きなウェイトを占めるものかもしれないなぁと思ったりする。

メガネを床に置いた私もマズかったし、踏んでしまった嫁も気の毒。

嫁に踏まれたメガネはひとたまりもなかったことだろう・・・

それでも、若かりし頃から嫁は、律儀なところがある、という発見につながったわけだ。

そう考えると、万事が、何かを発見するための出来事なのかもしれないな、と思うのである。

ドリア

私の親父は木工家具を作る仕事をしていて、いわゆる職人気質、昭和、和風、頑固者という印象で、厳しくも優しい親父だった。

基本、和食のアテに日本酒、というのが晩飯どきの常だった。

私が酒を飲むようになるまでにこの世を去ってしまったのは心残りだったけど。

その子供の頃の食生活の影響があるのかないのか、どちらかというと私は和食よりの好みの部分があるかもしれない。

居酒屋なんかに行って注文するのは、だし巻き、山かけマグロ、ししゃも、みりん干し、漬け物、というのがパッと浮かぶ。

ちょっと値段の張る居酒屋へ嫁と行って食べた、川津海老の素焼きとか、空豆の素焼き、なんてよろしいな〜。

子供の頃は、原則和食という食生活で、外食はごくたまに、焼肉バイキングとか、中華料理屋に行ったりしていたか。

今では普通に食べるが、ピザとかパスタといった、いわゆる洋食らしいものが食卓にあがることはあんまりなかったように思う。

ふと思い出したのだが、嫁と付き合い出して何年かした頃、高校?大学?のときだったろうか、ドリアなるものを初めて知った。

高校なら、30年近く前、1980年代?

グラタンは食べたことがあって知っていたがドリアは知らなかった。

白米の上にチーズがのっているのを見て「なんじゃこりゃ〜!」とド肝をぬかれた覚えがある。

まさに文明開化。

嫁に教えてもらってなくても、いずれドリアくらいは知ることになっただろうとは思うが、嫁始まりで知った、そういう細かいことって結構多いように思う。

嫁は学生時分から、アメリカ、イギリス、タイなどへ行ったりしていて、私に、世界は広いんだよ、ということを教えてくれていたのかもしれない。

ドリアでそこまで言うのは大げさか…

平常心

昼飯で「いきなり!ステーキ」に行ってきた。

前々からいっぺんは行きたいなと話はしていたものの、いつも昼飯時は並んでいるし、そこのショッピングモールのフードコートにある、丸亀製麺が安いし手軽やしということで、ずっと見送りになっていた。

その日は、昼過ぎに家を出て車で出かけた。

私 「昼飯、何食いたい?」

嫁 「うーん、何でもいい」

私 「いつもうどんやしなぁ、あそこのイタ飯屋でも行くか」

嫁 「それもいいなぁ」

私 「あそこパン食い放題やいうて書いてた気がするし」

嫁 「あ、言うてた『いきなり!ステーキ』は?」

私 「ほっほぉ〜」

ということで気持ちは肉モードに。

肉といえば、何かの記念日や、ある目標達成したとか、年末の夫婦忘年会とかで、焼肉屋に行ったりと、ちょっとしたイベントのイメージがある。

普通の日に焼肉、ステーキを食べるのは、なんだか特別みたいでテンションが上がる。

さて、店に到着してみると、13時半くらいだったが、ちょっと並んでいる…。

並ぶのが嫌いな我々は、一瞬ひるんだが、せっかくやから…ということで並ぶ。

幸い、それほど待つことなく順番が回ってきた。

席で待つこと10分ほどか、サラダ、スープの後にジュージュー音を立てながらお肉が運ばれてきた。

嫁200g、私450g。

満を持して食べ始める。

しばらく無言でガッついて、嫁の方を見ると、鼻の下にたくさんの水滴がついている。

嫁は暑いとき、まず鼻の下から汗をかくようなのだ。

私 「鼻の下びしゃびしゃやで」

嫁 「あつい…」

私 「鼻の下びしゃびしゃやで」

嫁 「ふ〜…」

以降、ふた言み言交わしながら食い終える。

美味しく頂き満足したのだが、何か嵐でも過ぎ去ったような、ボクサーがどんなパンチをもらったか分からないまま気がつくと試合が終わっていたというような…

よく言われる、平常心を保つというのは、なかなか難しいことなのかもしれない。